ておられる。我々は勿論《もちろん》先輩諸氏も決して先生を冷遇するのではないが先生の方で勝手にそう決定《きめ》て怒っておられる、実に困った者で手の着けようがない。実は自分は梅子|嬢《さん》を貰《もら》いたいと兼ねて思っていたのであるから、井下伯に頼んで梅子|嬢《さん》だけ滞《と》めて置いて後《あと》から交渉して貰う積りでいた、然るに先生の突然の帰国でその計画も画餅《がべい》になったが残念でならぬ。自分は容貌《ようぼう》の上のみで梅子|嬢《さん》を思うているのでない、御存知の通り実に近頃の若い女子には稀《まれ》に見るところの美しい性質を以《もっ》ておられる、自分は随分東京で種々の令嬢方を見たが梅子|嬢《さん》ほどの癖のない、すらりとした、すなおなる女を見たことはない。女子の特質とも言うべき柔和な穏やかな何処《どこ》までも優《やさ》しいところを梅子|嬢《さん》は十二分に有《もっ》ておられる。これには貴所《あなた》も御同感と信ずる。もし梅子|嬢《さん》の欠点を言えば剛という分子が少ない事であろう、しかし完全無欠の人間を求めるのは求める方が愚である、女子としては梅子|嬢《さん》の如き寧《むし》ろ完全に近いと言って宜《よろ》しい、或《あるい》は剛の分子の少ないところが却《かえっ》て梅子|嬢《さん》の品性に一段の奥ゆかしさを加えておるのかとも自分は思う。自分は決して浮きたる心でなく真面目《まじめ》にこの少女を敬慕しておる、何卒《どう》か貴所《あなた》も自分のため一臂《いっぴ》の力を借して、老先生の方を甘《うま》く説いて貰いたい、あの老人程|舵《かじ》の取り難《にく》い人はないから貴所が其所《そこ》を巧にやってくれるなら此方《こっち》は又井下伯に頼んで十分の手順をする、何卒か宜しく御頼《おたのみ》します。
 但《ただ》し富岡老人に話されるには余程《よほど》よき機会《おり》を見て貰いたい、無暗《むやみ》に急ぐと却て失敗する、この辺は貴所に於《おい》て決して遺漏《ぬかり》はないと信ずるが、元来老先生といえども人並の性情を有っておるから了解《わか》ることは能く了解る人である。ただその資質に一点我慢強いところのある上に、維新の際妙な行きがかりから脇道《わきみち》へそれて遂に成るべき功名をも成し得ず、同輩は侯伯たり後進は子男たり、自分は田舎《いなか》の老先生たるを見、かつ思う毎《ごと》にその
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