また鷹揚《おうよう》な趣きがあって、優《やさ》しく懐《ゆか》しいのは、じつに武蔵野の時雨の特色であろう。自分がかつて北海道の深林で時雨に逢ったことがある、これはまた人跡絶無の大森林であるからその趣はさらに深いが、その代り、武蔵野の時雨《しぐれ》のさらに人なつかしく、私語《ささや》くがごとき趣はない。
秋の中ごろから冬の初め、試みに中野あたり、あるいは渋谷、世田ヶ谷、または小金井の奥の林を訪《おとな》うて、しばらく座って散歩の疲れを休めてみよ。これらの物音、たちまち起こり、たちまち止み、しだいに近づき、しだいに遠ざかり、頭上の木の葉風なきに落ちてかすかな音をし、それも止んだ時、自然の静蕭《せいしょう》を感じ、永遠《エタルニテー》の呼吸身に迫るを覚ゆるであろう。武蔵野の冬の夜更けて星斗闌干《せいとらんかん》たる時、星をも吹き落としそうな野分《のわき》がすさまじく林をわたる音を、自分はしばしば日記に書いた。風の音は人の思いを遠くに誘う。自分はこのもの凄《すご》い風の音のたちまち近くたちまち遠きを聞きては、遠い昔からの武蔵野の生活を思いつづけたこともある。
熊谷直好の和歌に、
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