白丸傍点]――「天高く気澄む、夕暮に独り風吹く野[#「風吹く野」に丸傍点]に立てば、天外の富士[#「富士」に丸傍点]近く、国境をめぐる連山[#「連山」に丸傍点]地平線上に黒し。星光一点、暮色ようやく到り、林影ようやく遠し」
同十八日[#「同十八日」に白丸傍点]――「月を蹈《ふ》んで散歩す、青煙地を這《は》い月光林に砕く」
同十九日[#「同十九日」に白丸傍点]――「天晴れ、風清く、露冷やかなり。満目黄葉の中緑樹を雑《まじ》ゆ。小鳥|梢《こずえ》に囀《てん》ず。一路人影なし[#「一路人影なし」に丸傍点]。独り歩み黙思|口吟《こうぎん》し、足にまかせて近郊をめぐる」
同二十二日[#「同二十二日」に白丸傍点]――「夜|更《ふ》けぬ、戸外は林をわたる風声[#「風声」に丸傍点]ものすごし。滴声しきりなれども雨はすでに止みたりとおぼし」
同二十三日[#「同二十三日」に白丸傍点]――「昨夜の風雨にて木葉ほとんど揺落せり。稲田[#「稲田」に丸傍点]もほとんど刈り取らる。冬枯の淋しき様となりぬ」
同二十四日[#「同二十四日」に白丸傍点]――「木葉いまだまったく落ちず。遠山[#「遠山」に丸傍点]を望めば、心も消え入らんばかり懐《なつか》し」
同二十六日[#「同二十六日」に白丸傍点]――夜十時記す「屋外は風雨の声ものすごし。滴声相応ず。今日は終日霧[#「霧」に丸傍点]たちこめて野や林や永久《とこしえ》の夢に入りたらんごとく。午後犬を伴うて散歩す。林に入り黙坐す。犬眠る。水流[#「水流」に丸傍点]林より出でて林に入る、落葉を浮かべて流る。おりおり時雨[#「時雨」に丸傍点]しめやかに林を過ぎて落葉の上をわたりゆく音静かなり」
同二十七日[#「同二十七日」に白丸傍点]――「昨夜の風雨は今朝なごりなく晴れ、日うららかに昇りぬ。屋後の丘に立ちて望めば富士山真白ろに[#「富士山真白ろに」に丸傍点]連山の上に聳《そび》ゆ。風清く気澄めり。
げに初冬の朝なるかな。
田面《たおも》に水あふれ、林影|倒《さかしま》に映れり」
十二月二日[#「十二月二日」に白丸傍点]――「今朝霜、雪のごとく朝日にきらめきてみごとなり。しばらくして薄雲かかり日光寒し」
同二十二日[#「同二十二日」に白丸傍点]――「雪[#「雪」に丸傍点]初めて降る」
三十年一月十三日[#「三十年一月十三日」に白丸傍点]――「夜更けぬ。風死し林黙す。雪しきりに降る。燈をかかげて戸外をうかがう、降雪火影にきらめきて舞う。ああ武蔵野沈黙す。しかも耳を澄ませば遠きかなたの林をわたる風の音す、はたして風声か」
同十四日[#「同十四日」に白丸傍点]――「今朝大雪、葡萄棚《ぶどうだな》堕《お》ちぬ。
夜更けぬ。梢をわたる風の音遠く聞こゆ、ああこれ武蔵野の林より林をわたる冬の夜寒《よさむ》の凩《こがらし》なるかな。雪どけの滴声軒をめぐる」
同二十日[#「同二十日」に白丸傍点]――「美しき朝。空は片雲なく、地は霜柱白銀のごとくきらめく。小鳥梢に囀ず。梢頭《しょうとう》針のごとし」
二月八日[#「二月八日」に白丸傍点]――「梅咲きぬ。月ようやく美なり」
三月十三日[#「三月十三日」に白丸傍点]――「夜十二時、月傾き風きゅうに、雲わき、林鳴る」
同二十一日[#「同二十一日」に白丸傍点]――「夜十一時。屋外の風声をきく、たちまち遠くたちまち近し。春や襲いし、冬や遁《のが》れし」
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三
昔の武蔵野は萱原《かやはら》のはてなき光景をもって絶類の美を鳴らしていたようにいい伝えてあるが、今の武蔵野は林である。林はじつに今の武蔵野の特色といってもよい。すなわち木はおもに楢《なら》の類《たぐ》いで冬はことごとく落葉し、春は滴《したた》るばかりの新緑|萌《も》え出ずるその変化が秩父嶺以東十数里の野いっせいに行なわれて、春夏秋冬を通じ霞《かすみ》に雨に月に風に霧に時雨《しぐれ》に雪に、緑蔭に紅葉に、さまざまの光景を呈《てい》するその妙はちょっと西国地方また東北の者には解しかねるのである。元来日本人はこれまで楢の類いの落葉林の美をあまり知らなかったようである。林といえばおもに松林のみが日本の文学美術の上に認められていて、歌にも楢林の奥で時雨を聞くというようなことは見あたらない。自分も西国に人となって少年の時学生として初めて東京に上ってから十年になるが、かかる落葉林の美を解するに至ったのは近来のことで、それも左の文章がおおいに自分を教えたのである。
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「秋九月中旬というころ、一日自分が樺《かば》の林の中に座していたことがあッた。今朝から小雨が降りそそぎ、その晴れ間にはおりおり生《な》ま暖かな日かげも射してまことに気まぐれな空合《そらあ》い。あわあわしい白《し》ら雲が空《そ》ら一面に棚
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