《まく》り出したまま能く眠っている、其手を静に臥被《ふとん》の内に入れてやった。
「怒《おこっ》ちゃ善《い》けないことよ」と客の少女はきまり悪るそうに笑って言出し兼ねている。
「凡そ知ッているのよ、言《いっ》て御覧なさい、怒りも何《なに》もしないから。お可笑《かし》な位よ、」と言う主人の少女の顔は羞恥《はずかし》そうな笑のうちにも何となく不穏のところが見透かされた。
「私の口から言い悪くいけれど……貴姉大概解かっていましょう……」
「私が妾になるとか成ったとかいう事なんでしょう。」
 と言った主人の少女の声は震えて居た。

        下

 此二人の少女は共に東京電話交換局《とうきょうでんわこうくわんきょく》[#ルビの「とうきょう」は底本では「とうきゃう」]の交換手であって、主人の少女は江藤《えとう》お秀《ひで》という、客の少女は田川《たがわ》[#ルビの「たがわ」は底本では「たがは」]お富《とみ》といい、交換手としては両人《ふたり》とも老練の方であるがお秀は局を勤めるようになった以来、未だ二年許りであるから給料は漸と十五銭であった。
 お秀の父は東京府《とうきょうふ》に勤めて三十五円ばかり取って居て夫婦の間にお秀を長女《かしら》としてお梅《うめ》源三郎《げんざぶろう》の三人の児を持《もっ》て、左まで不自由なく暮らしていた。夫れでお秀も高等小学校を卒えることが出来、其後は宅《うち》に居て針仕事の稽古のみに力を尽す傍《かたわら》、読書をも勉めていたが恰度三年前、母が病《やみ》ついて三月目に亡くなって、夫れを嘆く間もなく又た父が病床《とこ》に就くように成りこれも二月ばかりで母の後を逐い、三人の児は半歳のうちに両親《ふたおや》を失って忽ち孤児《みなしご》となった。そうして殆《ほとん》ど丸裸体の様で此世に残された。
 そこで一人の祖母は懇意な家で引うけることになり、お秀は幸い交換局の交換手を募《つのっ》て居たから直ぐ局に勉《つと》めるようになって、妹と弟は兎も角お秀と一所に暮していた。それも多少《すこし》は祖母を引うけた家から扶助《みつい》でもらって僅かに糊口《くらし》を立てていたので、お秀の給料と針仕事とでは三人の口はとても過活《すぐ》されなかった。しかしお秀の労働《ほねおり》は決して世の常の少女の出来る業ではなかった。あちら此方と安値《やす》そうな間を借りては其処か
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