たいって……。」
「まだ小供ですもの、ねえ」とお富は立《たっ》て二人は暗い階段《はしごだん》を危なそうに下《お》り、お秀も一所に戸外《そと》へ出た。月は稍や西に傾いた。夜は森《しん》と更けて居《い》る。
「そこまで送りましょう。」
「宜いのよ、其処へ出ると未だ人通りが沢山あるから」とお富は笑って、
「左様なら、源ちゃんお大事に、」と去《ゆ》きかける。
「御壕の処まで送りましょうよ、」とお秀は関《かま》わず同伴《いっしょ》に来る。二人の少女《むすめ》の影は、薄暗いぬけろじの中に消えた。
 ぬけろじの中程が恰度、麺包屋《ぱんや》の裏になっていて、今二人が通りかけると、戸が少し開《あい》て居て、内で麺包を製造《つく》っている処が能く見える。其|焼《やき》たての香《こうば》しい香《におい》が戸外《そと》までぷんぷんする。其焼く手際が見ていて面白いほどの上手である。二人は一寸《ちょ》と立《たっ》てみていた、
「お美味《いし》そうねエ」とお富は笑って言った。
「明朝のを今|製造《こしら》えるのでしょうねエ」とお秀も笑うて行こうとする、
「ちょっと御待ちなさいよ」とお富は止めて、戸外《そと》から、
「その麺包を少し下さいな。」
 三十計りの男と十五位な娘とが頻に焼《やい》ていたが、驚《おどろい》て戸外《そと》の方を向いた。
「お幾価《いくら》?」
 娘は不精無精に立った。
「お気の毒さま、これ丈け下さいな、」とお富は白銅|一個《ひとつ》を娘に渡すと、娘は麺包を古新聞に包んで戸の間から出した。
「源ちゃんにあげて下さいな、今夜焼きたてが食べさせたいことねエ、そら熱いですよ。」とお秀に渡す。
「まあお気の毒さまねエ、明朝《あす》のお目覚《めざ》にやりましょう。」
 二人はお壕|辺《ばた》の広い通りに出た。夜が更けてもまだ十二時前であるから彼方此方《あちらこちら》、人のゆききがある。月はさやかに照《てり》て、お壕の水の上は霞んでいる。
「左様なら、又た明日《あした》。お寝みなさい、源ちゃん御大事に。」お富はしとやかに辞儀して去《ゆ》こうとした。
「どうも色々有難う御座いました。お母上《っかさん》にも宜しく……それでは明日《あす》。」
 二人は分れんとして暫時《しばらく》、立止った。
「あア、明日《あす》お出《いで》になる時、お花を少し持《もっ》て来て下さいませんか、何んでも宜いの。仏様
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