も涙含んだ。
「祖母さんのことだから他の人には言えないけれど……そら先達貴姉の来ていらしゃった時、祖母さんがあんな妙なことを言ったでしょう。処が十日ばかり前に小石川《こいしがわ》から来て私に妾になれと言わないばかりなのよ、あのお前の思案《かんがえ》一つでお梅や源ちゃんにも衣服《きもの》が着せてやられて、甘味《おいしい》ものが食べさされるッて……」
「それで妾になれって?」お富は眼※[#「目+匡」、第3水準1−88−81]《まぶち》を袖で摩って丸い眼を大きくして言った。
「否《いゝ》エ妾になれって明白《はっきり》とは言わないけれど、妾々ッて世間で大変悪く言うが芸者なんかと比較《くらべ》ると幾何《いくら》いいか知れない、一人の男を旦那にするのだからって……まあ何という言葉でしょう……私は口惜くって堪りませんでしたの。矢張身を売るのは同じことだと言いますとね、祖母さんや同胞《きょうだい》のために身を売るのが何が悪いッて……」
「まア其様《そんな》なことを!」
「実《じつ》、私も困り切《きっ》ているに違いないけエど、いくら零落《おちぶれ》ても妾になぞ成る気はありませんよ私には。そんな浅間しいことが何で出来ましょうか。祖母さんに、どんな事が有ッても其様《そん》な真似は私はしない、私のやれる丈けやって妹と弟の行末を見届けるから心配して下さるなと言切って其時あんまり口惜かったから泣きましたのよ。それからね寧《いっそ》のこと針仕事の方が宜いかと思って暫時《しばらく》局を欠勤《やす》んでやって見たのですよ。しかし此頃に成って見ると矢張仕事ばかりじゃア、有る時や無い時が有って結極《つまり》が左程の事もないようだし、それに家にばかりいるとツイ妹や弟の世話が余計焼きたくなって思わず其方《それ》に時間を取られるし……ですから矢張半日ずつ、局に出ることに仕ようかとも思って居たところなんですよ。」
「そしてお梅さんはどうなすって?」とお富は不審《ふしぎ》そうに尋ねた。
「ですから、今の処、とても私一人の腕で三人はやりきれない! 小石川の方へも左迄は請求《たのま》れないもんですから、お梅だけは奉公に出すことにして、丁度|一昨々日《さきおととい》か先方《むこう》へ行きましたの。」
「まあ何処へなの?」
「じき其処なの、日蔭町《ひかげちょう》の古着屋なの。」
「おさんどんですか。」
「ハア。」
「まあ
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