[#「に」に「ママ」の注記]は情《なさけ》ない次第《しだい》である。』
『旅《たび》は道連《みちづれ》、世《よ》は情《なさけ》といふが、世《よ》は情《なさけ》であらうと無《な》からうと別問題《べつもんだい》として旅《たび》の道連《みちづれ》は難有《ありが》たい、マサカ獨《ひと》りでは喋舌《しやべ》れないが二人《ふたり》なら對手《あひて》が泥棒《どろぼう》であつても喋舌《しやべ》りながら歩《ある》くことが出來《でき》る。』など、それからそれと考《かんが》へて居《ゐ》るうち又《また》眠《ねむ》くなつて來《き》た。
睡眠《ねむり》は安息《あんそく》だ。自分《じぶん》は眠《ねむ》ることが何《なに》より好《す》きである。けれど爲《しよ》うことなしに眠《ねむ》るのはあたら一|生涯《しやうがい》の一|部分《ぶゝん》をたゞで失《な》くすやうな氣がして頗《すこぶ》る不愉快《ふゆくわい》に感《かん》ずる、處《ところ》が今《いま》の場合《ばあひ》、如何《いかん》とも爲《し》がたい、眼《め》の閉《とづ》るに任《ま》かして置《お》いた。
[#改行天付きはママ]幾分位《いくら》眠《ねむ》つたか知《し》らぬが夢現
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