われたを機会《しお》に今ぞと思うより早くまたもくだらぬ方に話を外《はず》され、櫛を出すどころか、心はいよいよ重うなり、游ぐどころか、つまらないやら情けないやら今游ぐならば手足すくみてそのまま魚の餌《えば》ともなりなん。
『吉《きっ》さんおいでよ』とまたもやお絹呼びぬ。
『わたしは先へ帰るよ』と吉次は早々《そうそう》陸《おか》へ上がる後ろよりそんならわたしたちも上がる待っていてと呼びかけられ、待つはずの吉次、敵《かたき》にでも追われて逃げるような心持ちになり、衣服《きもの》を着るさえあわただしく、お絹お常の首のみ水より現われて白銀《しろかね》の波をかき分け陸《おか》へと游ぐをちょっと見やりしのみ、途《みち》をかえて堤へ上《のぼ》り左右に繁《しげ》る萱《かや》の間を足ばやに八幡宮の方へと急ぎぬ。
 老松《おいまつ》樹《た》ちこめて神々《こうごう》しき社《やしろ》なれば月影のもるるは拝殿|階段《きざはし》の辺《あた》りのみ、物すごき木《こ》の下闇《したやみ》を潜《くぐ》りて吉次は階段《きざはし》の下《もと》に進み、うやうやしく額《ぬか》づきて祈る意《こころ》に誠をこめ、まず今日が日までの息災を謝し奉り、これよりは知らぬ国に渡りて軍《いくさ》の巷《ちまた》危うきを犯し、露に伏し雨風に打たるる身の上を守りたまえと祈念し、さてその次にはめでたく帰国するまで幸衛門を初めお絹お常らの身に異変なく来年の夏またあの置座《おきざ》にて夕《ゆうべ》涼しく団居《まどい》する中にわれをも加えたまえと祈り終わりてしばしは頭《かしら》を得上げざりしが、ふと気が付いて懐《ふところ》を探り紙包みのまま櫛二枚を賽銭箱《さいせんばこ》の上に置き、他《ほか》の人が早く来て拾えばその人にやるばかり彼二人がいつものように朝まだき薄暗き中に参詣《さんけい》するならば多分拾うてくれそうなものとおぼつかなき事にまで思いをのこしてすごすごと立ち去りけり。
 お絹とお常は吉次の去った後《あと》そこそこに陸《おか》へ上がり体《からだ》をふきながら
『お常さん、これからちょいと吉さんの宅《うち》をのぞいて見ようよ、様子が変だからわたしは気になる。』
『明日《あす》朝早くにおしよ、お詣《まい》りを済ましてすぐまわって見ようよ。あんまり遅《おそ》くなると叔父さんに悪いから。』
『そうね』とお絹もしいては勧めかね道々二人は肩をすり寄せ小声に節《ふし》を合わして歌いながら帰りぬ。
       *          *
            *          *
 若い者のにわかに消えてなくなる、このごろはその幾人というを知らず大概は軍夫と定《き》まりおれば、吉次もその一人ぞと怪しむ者なく三角餅の茶店のうわさも七十五日|経《た》たぬ間《ま》に吉次の名さえ消えてなくなりぬ。お絹お常のまめまめしき働きぶり、幸衛門の発句《ほっく》と塩、神主の忰《せがれ》が新聞の取り次ぎ、別に変わりなく夏過ぎ秋|逝《ゆ》きて冬も来にけり。身を切るような風吹きて霙《みぞれ》降る夜の、まだ宵ながら餅屋ではいつもよりも早く閉《し》めて、幸衛門は酒一口飲めぬ身の慰藉《なぐさみ》なく堅い男ゆえ炬燵《こたつ》へ潜《もぐ》って寝そべるほどの楽もせず火鉢《ひばち》を控えて厳然《ちゃん》と座《すわ》り、煙草《たばこ》を吹かしながらしきりに首をひねるは句を案ずるなりけり。
『猿《さる》も小簔《こみの》をほしげなりというのは今夜のような晩だな。』
『そうね』とお絹が応《こた》えしままだれも対手《あいて》にせず、叔母《おば》もお常も針仕事に余念なし。家内《やうち》ひっそりと、八角時計の時を刻む音ばかり外は物すごき風狂えり。
『時に吉さんはどうしてるだろう』と幸衛門が突然《だしぬけ》の大きな声に、
『わたしも今それを思っていたのよ』とお絹は針の手をやめて叔父の方を見れば叔父も心配らしいまじめな顔つき。
『叔父さんあっちは大変寒いところだというじゃアありませんか』とお常は自分の足袋《たび》の底を刺しながら言いぬ。
『なに吉さんはあの身体《からだ》だもの寒《かん》にあてられるような事もあるまい』と叔母は針の目を通しながら言えり。
『イヤそうも言えない随分ひどいという事だから』と叔父のいうに随《つ》いてお絹
『大概にして帰って来なさればよいに、いくらお金ができても身体《からだ》を悪くすれば何にもなりゃアしない。』
『ナニあの男の事だからいったんかせぎに出たからにはいくらかまとまった金を握るまでは帰るまい、堅い珍しい男だからどうか死なしたくないものだ。』
『ほんとにね』とお絹は口の中《うち》、叔母は大きな声で
『大丈夫、それにあの人は大酒を飲むの何のと乱暴はしないし』と受け合い、鬢《びん》の乱《ほつれ》を、うるさそうにかきあげしその櫛《くし》は吉次の置土産《おきみやげ》、あの朝お絹お常の手に入りたるを、お常は神のお授けと喜び上等ゆえ外出行《よそゆ》きにすると用箪笥《ようだんす》の奥にしまい込み、お絹は叔母に所望《しょもう》されて与えしなり。
 二十八年三月の末お絹が親もとより二日ばかり暇をもろうて帰り来《こ》よとの手紙あり、珍しき事と叔父幸衛門も怪しみたれどともかくも帰って見るがよかろうと三里離れし在所の自宅へお絹は三角餅を土産に久しぶりにて帰りゆきぬ。何《なん》ぞと思えば嫁に行けとの相談なり。継母《ままはは》の腹は言うまでもなく姉のお絹を外に出して自分の子、妹のお松を後《あと》に据えたき願い、それがあるばかりにお絹と継母《ままはは》との間おもしろからず理屈をつけて叔父幸衛門にお絹はあずけられかれこれ三年の間お絹のわが家に帰りしは正月一度それも機嫌《きげん》よくは待遇《あしら》われざりしを、何のかのと腹にもない親切を言われ先方《さき》は田が幾町山がこれほどある、婿はお前も知っているはずと説かれてお絹は何と答えしぞ。その夜七時ごろ町なる某《なにがし》という旅人宿《はたごや》の若者三角餅の茶店に来たり、今日これこれの客人見えて幸衛門さんに今からすぐご足労を願いますとのことなり。幸衛門は多分塩の方の客筋ならんと早速《さっそく》まかり出《い》でぬ。
 次の日奥の一室《ひとま》にて幸衛門腕こまぬき、茫然《ぼうぜん》と考えているところへお絹在所より帰り、ただいまと店に入《はい》ればお常はまじめな顔で
『叔父さんが奥で待っていなさるよ、何か話があるって。』
お絹にも話あり、いそいそと中庭から上がれば叔父の顔色ただならず、お絹もあらたまって
『叔父さんただいま、自宅《うち》からもよろしくと申しました。』
『用事は何であったね、縁談じゃアなかったか。』
『そうでございました、難波《なんば》へ嫁にゆけというのであります。』
『お前はどうして』と問われてお絹ためらいしが
『叔父さんとよく相談してと生《なま》返事をして置きました。』
『そうか』と叔父は嘆息《ためいき》なり。
『叔父さんのご用というのは何。』
『用というのではないがお前驚いてはいけんよ、吉さんはあっちで病死したよ。』
『マあ!』とお絹は蒼《あお》くなりて涙も出《い》でず。
『実はわたしも驚いてしまったのだ、昨夜《ゆうべ》何屋の若者が来て、これこれの客人がすぐ来てくれろというから行って見ると、その人はあっちで吉さんとごく懇意にしていた方で、吉さんが病気を親切に看病してくださったそうな。それで吉さんの死ぬる時吉さんから二百円渡されてこれを三角餅の幸衛門に渡し幸衛門の手からお前に半分やってくれろ、半分は親兄弟の墓を修復《しゅふく》する費用にしてその世話を頼むとの遺言、わたしは聞いて返事もろくろくできないでただ承知しましたと泣く泣く帰って来ました。』
『マアどうしたらよかろう、かあいそうに』とお絹は泣き伏しぬ。
『それでは遺言どおりこの百円はお前に渡すから確かに受け取っておくれ』と叔父の出す手をお絹は押しやって
『叔父さんわたしは確かに受け取りました吉さんへはわたしからお礼をいいます、どうかそれで吉さんの後《あと》を立派に弔うてください、あらためてわたしからお頼みしますから。』
[#地から2字上げ](明治三十三年九月作)



底本:「武蔵野」岩波文庫、岩波書店
   1939(昭和14)年2月15日第1刷発行
   1972(昭和47)年8月16日第37刷改版発行
   2002(平成14)年4月5日第77刷発行
底本の親本:「武蔵野」民友社
   1901(明治34)年3月
初出:「太陽」
   1900(明治33)年12月
入力:土屋隆
校正:蒋龍
2009年3月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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