けれども。』
さアと促されて吉次も仕方なく連れだって行けば、お絹は先に立ち往来を外《はず》れ田の畔《くろ》をたどり、堤の腰を回《めぐ》るとすぐ海なり。沖はよく和《な》ぎて漣《さざなみ》の皺《しわ》もなく島山の黒き影に囲まれてその寂《しずか》なるは深山《みやま》の湖水かとも思わるるばかり、足もとまで月影澄み遠浅《とおあさ》の砂白く水底《みなそこ》に光れり。磯《いそ》高く曳《ひ》き上げし舟の中にお絹お常は浴衣《ゆかた》を脱ぎすてて心地《ここち》よげに水を踏み、ほんに砂粒まで数えらるるようなと、海近く育ちて水に慣れたれば何のこわいこともなく沖の方へずんずんと乳の辺《あた》りまで出《い》ずるを吉次は見て懐《ふところ》に入れし鼈甲《べっこう》の櫛《くし》二板紙に包《くる》んだままをそっと袂《たもと》に入れ換えて手早く衣服《きもの》を脱ぎ、そう沖へ出ないがいいと言い言い二人のそばまで行けば
『吉さんごらんよ、そら足の爪《つめ》まで見えるから』とお常が言うに吉次
『もうここらで帰ろうよ。』
『背のとどかないところまで出ないと游《およ》いだ気がしないからわたしはもすこし沖へ出るよ』とお絹はお常を誘う
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