ともない。』
『吉さんはきっとおかみさんを大事にするよ』と、女は女だけの鑑定《みたて》をしてお常正直なるところを言えばお絹も同意し
『そうらしいねエ』と、これもお世辞にあらず。
『イヤこれは驚いた、そんなら早い話がお絹さんお常さんどちらでもよい、吉さんのところへ押しかけるとしたらどんな者だろう』と、神主の忰《せがれ》の若旦那《わかだんな》と言わるるだけに無遠慮なる言い草、お絹は何と聞きしか
『そんならわたしが押しかけて行こうか、吉《きっ》さんいけないかね。』
『アハハハハハばかを言ってる、ドラ寝るとしよう、皆さんごゆっくり』と、幸衛門の叔父《おじ》さん歳《とし》よりも早く禿《は》げし頭をなでながら内に入りぬ。
『わたしも帰って戦争の夢でも見るかな』と、罪のない若旦那の起《た》ちかかるを止めるように
『戦争はまだ永く続きそうでございますかな』と吉次が座興ならぬ口ぶり、軽く受けて続くとも続くともほんとの戦争はこれからなりと起《た》ち上がり
『また明日《あす》の新聞が楽しみだ、これで敗戦《まけいくさ》だと張り合いがないけれど我軍《こっち》の景気がよいのだから同じ待つにも心持ちが違うよ。』お寝《やす》みと帰ってしまえば後《あと》は娘二人と吉次のみ、置座《おきざ》にわかに広うなりぬ。夜はふけ月さえぬれど、そよ吹く風さえなければムッとして蒸し熱き晩なり。吉次は投げるように身を横にして手荒く団扇《うちわ》を使いホッとつく嘆息《ためいき》を紛らせばお絹
『吉《きっ》さんまだ風邪がさっぱりしないのじゃアないのかね。』
『風邪を引いたというのは嘘《うそ》だよ。』
『オヤ嘘なの、そんならどうしたの。』
『どうもしないのだよ。』
『おかしな人だ人に心配させて』とお絹は笑うて済ますをお常は
『イヤ何か吉さんは案じていなさるようだ。』
『吉さんだって少しは案じ事もあろうよ、案じ事のないものは馬鹿《ばか》と馬鹿《うましか》だというから。』
『まだある若旦那』と小さな声で言うお常もその仲間なるべし。
それよりか海に行《い》こうとお絹の高い声に、店の内にて、もう遅《おそ》いゆえやめよというは叔父なり、
『叔父さんまだ起きていたの、今|汐《しお》がいっぱいだからちょっと浴びて来ます浅いところで。』
『危険《あぶない》危険《あぶない》遅いから。』
『吉さんにいっしょに行ってもらいます。』
『そんならいい
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