ルの居所《ゐどころ》も一寸《ちよつと》知《し》れなかつた。彼方《あつち》此方《こつち》と搜《さが》す中、漸《やつ》とのことで大きな無花果《いちじく》の樹蔭《こかげ》に臥《ね》こんで居《ゐ》るのを見《み》つけ出《だ》し、親父《おやぢ》は恭々《うや/\》しく近寄《ちかよ》つて丁寧《ていねい》にお辭儀《じぎ》をして言《い》ふのには
『實《じつ》は今日《けふ》お願《ねがひ》があつてお邪魔《じやま》に出《で》ました。これは手前《てまへ》の愚息《せがれ》で御座《ござ》います、是非《ぜひ》貴樣《あなた》のお弟子《でし》になりたいと本人《ほんにん》の望《のぞみ》ですから連《つれ》て參《まゐ》りましたが、一《ひと》つ試驗《しけん》をして見《み》て下《くだ》さいませんか。其上《そのうへ》で若《も》し物《もの》になりさうだツたら何卒《どうか》怠惰屋《なまけや》の弟子《でし》といふことに願《ねが》ひたいものです。さうなると私《わたし》の方《はう》でも出來《でき》るだけのお禮《れい》は致します積りで……』
 ラクダルは無言《むごん》のまゝ手眞似《てまね》で其處《そこ》へ坐《すわ》らした。親父《おやぢ》は當前《あたりまへ》に坐《すわ》る、愚息《せがれ》はゴロリ臥《ね》ころんで足《あし》を蹈伸《ふみのば》す、この臥轉《ねころ》び方《かた》が第一《だいゝち》上出來《じやうでき》であつた。三人《さんにん》は其《その》まゝ一言《ひとこと》も發《はつ》しない。
 恰度《ちやうど》日盛《ひざかり》で太陽《ひ》は燦然《ぎら/\》と煌《かゞや》き、暑《あつさ》は暑《あつ》し、園《その》の中《なか》は森《しん》として靜《しづ》まり返《かへ》つて居《ゐ》る。たゞ折々《をり/\》聞《きこゆ》るものは豌豆《ゑんどう》の莢《さや》が熱《あつ》い日に彈《はじ》けて豆《まめ》の飛《と》ぶ音《おと》か、草間《くさま》の泉《いづみ》の私語《さゝやく》やうな音、それでなくば食《く》ひ飽《あき》た鳥《とり》が繁茂《しげみ》の中《なか》で物疎《ものう》さうに羽搏《はゞたき》をする羽音《はおと》ばかり。熟過《つえすぎ》た無花果《いちじく》がぼたりと落ちる。
 其中《そのうち》腹《はら》が空《すい》て來《き》たと見《み》えてラクダルは面倒臭《めんだうくさ》さうに手を伸《のば》して無花果《いちじく》を採《とつ》て口《くち》に入《い》れた。然《しか》し少年《こども》は見向《みむ》きもしないし手《て》も伸《のば》さないばかりか、木實《このみ》が身體《からだ》の傍《そば》に落《お》ちてすら頭《あたま》もあげなかつた。ラクダルは此《こ》の樣《さま》をぢろり横目《よこめ》で見《み》たが、默《だま》つて居《ゐ》た。
 斯《か》ういふ風《ふう》で一|時間《じかん》たち二|時間《じかん》經《た》つた。氣《き》の毒《どく》千萬《せんばん》なのは親父《おやぢ》さんで、退屈《たいくつ》で/\堪《たま》らない。しかしこれも我兒《わがこ》ゆゑと感念《かんねん》したか如何《どう》だか知《しら》んが辛棒して其《その》まゝ坐《すわ》つて居《ゐ》た。身動《みうごき》もせず熟《じつ》として兩足を組《くん》で坐《すわ》つて居《ゐ》ると、園《その》を吹渡《ふきわた》る生温《なまぬ》くい風《かぜ》と、半分|焦《こげ》た芭蕉の實や眞黄色《まつきいろ》に熟《じゆく》した柑橙《だい/\》の香《かほり》にあてられて、身《み》も融《とけ》ゆくばかりになつて來《き》たのである。
 やゝ暫《しばら》くすると大きな無花果の實《み》が少年《こども》の頬《ほゝ》の上に落《お》ちた。見《み》るからして菫《すみれ》の色《いろ》つやゝかに蜜《みつ》のやうな香《かほり》がして如何《いか》にも甘味《うま》さうである。少年《こども》がこれを口に入《いれ》るのは指《ゆび》一本《いつぽん》動《うご》かすほどのこともない、然《しか》し左《さ》も疲《つか》れ果《はて》て居《ゐ》る樣《さま》で身動《みうごき》もしない、無花果《いちじく》は頬《ほゝ》の上《うへ》にのつたまゝである。
 暫《しばら》くは其《その》まゝで居《ゐ》たが遂《つひ》に辛棒《しんぼう》しきれなくなり、少年《こども》[#「少年」は底本では「小年」]は眄目《ながしめ》に父《ちゝ》を見て、鈍《にぶ》い聲《こゑ》で
『父《とつ》さん――父《とつ》さん、これを口《くち》へ入れて下《くだ》さいよう。』
 これを聞《き》くや否《いな》や、ラクダルは手《て》に持《もつ》て居《ゐ》た無花果《いちじく》を力任《ちからま》かせに投《な》げて怫然《ふつぜん》と親父《おやぢ》の方《かた》に振《ふ》り向《む》き
『此兒《このこ》を私《わたし》の弟子《でし》にするといふのですか貴樣《あなた》は? 途方《とはう》もないこと、此兒《このこ》が私《わたし》の師匠《しゝやう》だ、私《わたし》が此兒《このこ》に習《なら》いたい位《くらゐ》だ!』
 そして卒然《いきなり》起上《おきあ》がつて少年《こども》の前に跪《ひざまづ》き頭《あたま》を大地《だいち》に着《つ》けて
『謹で崇《あが》め奉《たてまつ》る、怠惰《なまけ》の神様《かみさま》!』



底本:『国木田独歩全集 第四巻』学習研究社
   1966(昭和41)年2月10日発行
入力:小林徹
校正:柳沢成雄
1999年2月9日公開
2004年5月26日修正
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