\所《ところ》の名物《めいぶつ》の商業《しやうばい》がある中に、ラクダルは怠惰屋《なまけや》で立《た》つて居たのである。
抑《そ》も此男《このをとこ》は父《ちゝ》の死《しん》だ後《あと》、市街外《まちはづ》れに在《あ》る小《ちひ》さな莊園《しやうゑん》を承嗣《うけつい》だので、此《この》莊園《しやうゑん》こそ怠惰屋《なまけや》の店《みせ》とも謂《いひ》つべく、其《その》白《しろ》い壁《かべ》は年古《としふり》て崩《くづ》れ落《お》ち、蔦《つた》葛《かづら》思《おも》ふがまゝに這纏《はひまと》ふた門《もん》は年中《ねんぢゆう》開《あけ》つ放《ぱな》しで閉《とぢ》たことなく、無花果《いちじく》や芭蕉《ばせう》が苔《こけ》むす泉《いづみ》のほとりに生茂《おひしげ》つて居《ゐ》るのである。此莊園でラクダルはゴロリと轉《ころ》がつたまゝ身動《みうごき》もろくに爲《せ》ず、手足《てあし》をダラリ伸《のば》したまゝ一言《ひとこと》も口《くち》を開《ひら》かず、たゞ茫乎《ぼんやり》と日《ひ》がな一日《いちにち》、年《ねん》から年中《ねんぢゆう》、時《とき》を送《おく》つて居《ゐ》るのである。
赤蟻《あかあり》は彼《かれ》のモヂヤ/\した髯《ひげ》の中を草場《くさはら》かと心得《こゝろえ》て駈《か》け廻《まは》るといふ行體《ていたらく》。腹《はら》が空《すい》て來《く》ると、手《て》を伸《のば》して手《て》の屆《とゞ》く處《ところ》に實《なつ》て居《を》る無花果《いちじく》か芭蕉《ばせう》の實《み》を捩《もぎ》つて食《く》ふ、若し起上《たちあが》つて捩《もぎ》らなければならぬなら飢餓《うゑ》て死《しん》だかも知れないが、幸《さいはひ》にして一人《ひとり》では食《く》ひきれぬ程《ほど》の實《み》が房々《ふさ/\》と實《な》つて居《ゐ》るので其《その》憂《うれひ》もなく、熟過《つえすぎ》[#ルビの「つえ」に「ママ」の注記]た實《み》がぼて/\と地に落《お》ちて蟻《あり》の餌《ゑ》となり、小鳥《ことり》の群《むれ》は枝《えだ》から枝《えだ》を飛《と》び廻《まは》つて思《おも》ひのまゝ木實《このみ》を啄《ついば》んでも叱《しか》り手《て》がないといふ次第《しだい》であつた。
先《ま》づ斯《か》ういふ風《ふう》な處《ところ》からラクダルの怠惰屋《なまけや》は國内《こくない》一般《いつぱん
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