私はますます哀れを催しました。思わず私ももらい泣きをしたくらいでした。
 そこで私は、六蔵の教育を骨を折ってみる約束をして気の毒な婦人を帰し、その夜はおそくまで、いろいろと工夫《くふう》を凝らしました。さてその翌日からは、散歩ごとに六蔵を伴なうことにして、機に応じていくらかずつ知能の働きを加えることにいたしました。
 第一に感じたのは、六蔵に数の観念が欠けていることです。一から十までの数がどうしても読めません。幾度もくり返して教えれば、二、三と十まで口で読み上げるだけのことはしますが、道ばたの石ころを拾うて三つ並べて、いくつだとききますと、考えてばかりいて返事をしないのです。無理にきくと初めは例の怪しげな笑い方をしていますが、後には泣きだしそうになるのです。
 私も苦心に苦心を積み、根気よく努めていました。ある時は八幡宮《はちまんぐう》の石段を数えて登り、一《ひ》、二《ふ》、三《み》と進んで七つと止まり、七つだよと言い聞かして、さて今の石段はいくつだとききますと、大きな声で十《とお》と答える始末です。松の並木を数えても、菓子をほうびにその数を教えても、結果は同じことです。一《ひ》、二《
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