その枝に飛びつこうとしたに相違ありません。
死骸《なきがら》を葬った翌々日、私はひとり天主台に登りました。そして六蔵のことを思うと、いろいろと人生不思議の思いに堪えなかったのです。人類と他の動物との相違。人類と自然との関係。生命と死などいう問題が、年若い私の心に深い深い哀《かな》しみを起こしました。
イギリスの有名な詩人の詩に「童《わらべ》なりけり」というがあります。それは一人の子供が夕べごとにさびしい湖水のほとりに立って、両手の指を組み合わして、梟《ふくろ》の鳴くまねをすると、湖水の向こうの山の梟がこれに返事をする、これをその童《わらべ》は楽しみにしていましたが、ついに死にまして、静かな墓に葬られ、その霊《たま》は自然のふところに返ったというこころを詠じたものであります。
私はこの詩がすきで常に読んでいましたが、六蔵の死を見て、その生涯《しょうがい》を思うて、その白痴を思う時は、この詩よりも六蔵のことはさらに意味あるように私は感じました。
石垣《いしがき》の上に立って見ていると、春の鳥は自在に飛んでいます。その一つは六蔵ではありますまいか。よし六蔵でないにせよ、六蔵はその鳥と
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