は小学校に出していたのが、二人とも何一つ学び得ず、いくら教師が骨を折ってもむだで、到底ほかの生徒といっしょに教えることはできず、いたずらに他の腕白《わんぱく》生徒《せいと》の嘲弄《ちょうろう》の道具になるばかりですから、かえって気の毒に思って退学をさしたのだそうです。
 なるほど詳しく聞いてみると、姉も弟《おとと》も全くの白痴であることが、いよいよ明らかになりました。
 しかるに主人《あるじ》の口からは言いませんが、主人《あるじ》の妹、すなわちきょうだいの母親というも、普通から見るとよほど抜けている人で、二人の子供の白痴の原因は、父の大酒にもよるでしょうが、母の遺伝にも因ることは私はすぐ看破しました。
 白痴教育というがあることは私も知っていますが、これには特別の知識の必要であることですから、私も田口の主人《あるじ》の相談にはうかと乗りませんでした。ただその容易でないことを話しただけでよしました。
 けれどもその後、だんだんおしげと六蔵の様子を見ると、いかにも気の毒でたまりません。不具のうちにもこれほど哀れなものはないと思いました。唖《おし》、聾《つんぼ》、盲《めしい》などは不幸には相違ありません。言うあたわざるもの、聞くあたわざる者、見るあたわざる者も、なお思うことはできます。思うて感ずることはできます。白痴となると、心の唖《おし》、聾《つんぼ》、盲《めくら》ですからほとんど禽獣《きんじゅう》に類しているのです。ともかく人の形をしているのですから全く感じがないわけではないが、普通の人と比べては十の一にも及びません。また不完全ながらも心の調子が整うていればまだしもですが、さらにいびつになってできているのですから、様子がよほど変です、泣くも笑うも喜ぶも悲しむも、みな普通の人から見ると調子が狂っているのだからなお哀れです。
 おしげはともかく、六蔵のほうは子供だけに無邪気《むじゃき》なところがありますから、私は一倍哀れに感じ、人の力でできることならば、どうにかして少しでもその知能の働きを増してやりたいと思うようになりました。
 すると田口の主人《あるじ》と話してから二週間もたった後のこと、夜の十時ごろでした、もう床につこうかと思っているところへ、
「先生、お寝《やす》みですか」と言いながら私の室《へや》にはいって来たのは六蔵の母親です。背の低い、痩形《やせがた》の、頭の
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