「待ったかね?」と徳二郎は女に言って、さらに僕のほうを顧み、
「坊様を連れて来たよ」と言い足した。
「坊様、お上がんなさいナ。早くお前さんも上がってください、ここでぐずぐずしているといけないから」と女は徳二郎を促したので、徳二郎は早くも梯子段《はしごだん》を登りはじめ、
「坊様、暗うございますよ」と言ったぎり、女とともに登ってしまったから僕もしかたなしにそのあとについて暗い、狭い、急な梯子段《はしごだん》を登った。
なんぞ知らん、この家は青楼の一で、今女に導かれてはいった座敷は海に臨んだ一間《ひとま》、欄によれば港内はもちろん入り江の奥、野の末、さては西なる海の果てまでも見渡されるのである。しかし座敷は六畳敷の、畳も古び、見るからしてあまり立派な室《へや》ではなかった。
「坊様、さアここへいらっしゃい」と女は言って、座ぶとんをてすりのもとに運び、夏だいだいそのほかのくだもの菓子などを僕にすすめた。そして次の間をあけると酒肴《さけさかな》の用意がしてある。それを運びこんで女と徳二郎はさし向かいにすわった。
徳二郎はふだんにないむずかしい顔をしていたが、女のさす杯を受けて一息にのみ干し、
「いよいよ何日《いつ》と決まった?」と女の顔をじっと見ながらたずねた。女は十九か二十《はたち》の年ごろ、色青ざめてさも力なげなるさまは病人ではないかと僕の疑ったくらい。
「あす、あさって、明々後日《やのあさって》」と女は指を折って、「やのあさってに決まったの。しかしね、わたしは今になって、また気が迷って来たのよ」と言いつつ首をたれていたが、そっと袖《そで》で目をぬぐった様子。その間に徳二郎は手酌《てじゃく》で酒をグイグイあおっていた。
「今さらどうと言ってしかたがないじゃアないか。」
「それはそうだけれど――考えてみると、死んだほうがなんぼ増しだか知れないと思って。」
「ハッハッヽヽヽヽ坊様、このねえさんが死ぬと言いますが、どうしましょうか。……オイオイ約束の坊様を連れて来たのだ、よく見てくれないか。」
「さっきから見ているのよ、なるほどよく似ていると思って感心しているのよ。」と女は言って、笑いを含んでじっと僕の顔を見ている。
「だれに似ているのだ。」と僕は驚いてたずねた。
「わたしの弟にですよ、坊様を弟に似ているなどともったい[#「もったい」に傍点]ない事だけれど、そら、これをご
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