うしても叔母に言い出されないのでございます。それと申すのは叔母も私の母より女難の一件を聞いていますし、母の死ぬる前にも叔母に女難のことは繰り返して頼んでおいたのですから、私の口からお幸のことでも言い出そうものならどんなに驚きもし、心配もするかわからないのでございます、次の朝から三日の間、私は今言おうか、もう切り出そうかと叔母の部屋を出たり入ったりしましたが、とうとう言うことができなかったのでございます。
叔母に言うことができないとすれば、お幸と二人で土地を逃げる他に仕方がないと一度は逃亡《かけおち》の仕度をして武の家に出かけましたが、それもイザとなって踏み出すことができませんでした。と申すのは、『これが女難だな』という恐ろしい考えが、次第次第にたかまってきて、今までお幸のもとに通ったことを思うと『しまった』という念が湧《わ》き上るのでございます。それですからもし、お幸を連れて逃げでもすれば、行く先どんな苦労をするかも知れず、それこそ女難のどん底に落ちてしまうと、一念こうなりましてはかけおちもできなくなったのでございます。
それで四苦八苦、考えに考えぬいた末が、一人で土地を逃げるという了見になりました、忘れもいたしません、六月十五日の夜、七日の晩から七日目の晩でございます、お幸に一目逢いたいという未練は山々でしたが、ここが大事の場合だと、母の法名を念仏のように唱えまして、暗《やみ》に乗じて山里を逃亡いたしました、その晩あたりは何も知らないお幸が私の来るのを待ち焦《こが》れていたのに違いありません。女に欺されてはならぬとばかり教えられた私がいつか罪もない女を欺すこととなり、女難を免《のが》れるつもりで女を捨てた時はもう大女難にかかっていたので、その時の私にはそれがわからなかったのでございます。
叔母の家から持ち出した金はわずか十円でございますから東京へ着きますと間もなく尺八を吹いて人の門に立たなければならぬ次第となりましたのです。それから二十八の年まで足かけ十年の間のことは申し上げますまい。国とは音信不通、東京にはもちろん、親族もなければ古い朋友もないので、種々さまざまのことをやって参りましたが、いつも女のことで大事の場合をしくじってしまいました。二十八になるまでには公然《おもてむき》の妻も一度は持ちましたが半年も続かず、女の方から逃げてしまいました。しかしその妻も私が本郷に下宿しておるうちにそこの娘とできやったのでございます。
二十八の時の女難が私の生涯の終りで、女難と一しょに目を亡くしてしまったのでございますから、それをお話しいたして長物語を切り上げることにいたします。
五
二十八の夏でございました、そのころはやや運が向いて参りまして、鉄道局の雇いとなり月給十八円|貰《もら》っていましたが女には懲《こ》りていますから女房も持たず、婆さんも雇わず、一人で六畳と三畳の長屋を借りまして自炊しながら局に通っておったのでございます。
住居《すまい》は愛宕下町《あたごしたまち》の狭い路次で、両側に長屋が立っています中のその一軒でした。長屋は両側とも六軒ずつ仕切ってありましたが、私の住んでいたのは一番奥で、すぐ前には大工の夫婦者が住んでいたのでございます。
長屋の者は大通りに住む方《かた》とは違いまして、御承知《ごぞんじ》でもございましょうが、互いに親しむのが早いもので、私が十二軒の奥に移りますと間もなく、十二軒の人は皆な私に挨拶するようになりました。
その中でも前に住む大工は年ごろが私と同じですし、朝出かける時と、晩帰える時とが大概同じでございますから始終顔を合わせますのでいつか懇意になり、しまいには大工の方からたびたび遊びに来るようになりました。
大工は名を藤吉と申しましたが、やはり江戸の職人という気風がどこまでもついて廻わり、様子がいなせ[#「いなせ」に傍点]で弁舌が爽《さわ》やかで至極面白い男でございました。ただ容貌《きりょう》はあまり立派ではございません、鼻の丸い額の狭いなどはことに目につきました。笑う時はどこかに人のよい、悪く言えば少し抜けているようなところが見えて、それがまたこの人の愛嬌でございます。
私のところへ夜遊びに来ると、きっと酒の香《におい》をぷんぷんさせて、いきなり尻をまくってあぐらをかきます。そして私が酒を呑《の》まぬのを冷やかしたものでございます。
そしてまた、しきりと女房を持てとすすめました。そのついでにどうかいたしますと、『君なぞは女で苦労したこともない唐偏木《とうへんぼく》だから女のありがた味を知らないのだ』とやるのです。御本人はどうかと申しますと、あまり苦労をしたらしくもないので、その女房も、親方が世話をして持たしてくれたとかいうのでございます。
けれども私は東京に
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