も私が本郷に下宿しておるうちにそこの娘とできやったのでございます。
 二十八の時の女難が私の生涯の終りで、女難と一しょに目を亡くしてしまったのでございますから、それをお話しいたして長物語を切り上げることにいたします。

     五

 二十八の夏でございました、そのころはやや運が向いて参りまして、鉄道局の雇いとなり月給十八円|貰《もら》っていましたが女には懲《こ》りていますから女房も持たず、婆さんも雇わず、一人で六畳と三畳の長屋を借りまして自炊しながら局に通っておったのでございます。
 住居《すまい》は愛宕下町《あたごしたまち》の狭い路次で、両側に長屋が立っています中のその一軒でした。長屋は両側とも六軒ずつ仕切ってありましたが、私の住んでいたのは一番奥で、すぐ前には大工の夫婦者が住んでいたのでございます。
 長屋の者は大通りに住む方《かた》とは違いまして、御承知《ごぞんじ》でもございましょうが、互いに親しむのが早いもので、私が十二軒の奥に移りますと間もなく、十二軒の人は皆な私に挨拶するようになりました。
 その中でも前に住む大工は年ごろが私と同じですし、朝出かける時と、晩帰える時とが大概同じでございますから始終顔を合わせますのでいつか懇意になり、しまいには大工の方からたびたび遊びに来るようになりました。
 大工は名を藤吉と申しましたが、やはり江戸の職人という気風がどこまでもついて廻わり、様子がいなせ[#「いなせ」に傍点]で弁舌が爽《さわ》やかで至極面白い男でございました。ただ容貌《きりょう》はあまり立派ではございません、鼻の丸い額の狭いなどはことに目につきました。笑う時はどこかに人のよい、悪く言えば少し抜けているようなところが見えて、それがまたこの人の愛嬌でございます。
 私のところへ夜遊びに来ると、きっと酒の香《におい》をぷんぷんさせて、いきなり尻をまくってあぐらをかきます。そして私が酒を呑《の》まぬのを冷やかしたものでございます。
 そしてまた、しきりと女房を持てとすすめました。そのついでにどうかいたしますと、『君なぞは女で苦労したこともない唐偏木《とうへんぼく》だから女のありがた味を知らないのだ』とやるのです。御本人はどうかと申しますと、あまり苦労をしたらしくもないので、その女房も、親方が世話をして持たしてくれたとかいうのでございます。
 けれども私は東京に
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