、今夜宅へおいで、いろいろ話して聞かすから』と言い捨てて孫娘と共に山を下《お》りてしまった。
 僕が高慢な老人をへこましたのか、老人から自分の高慢をへこまされたのかわからなくなったが、ともかく、少しはへこましてやったつもりで宅に帰り、この事を父に語った。すると父から非常にしかられて、早速《さっそく》今夜あやまりに行けと命ぜられ長者を辱《はずかし》めたというので懇々説諭された。
 その晩、僕は大沢先生の宅を初めて訪《たず》ねたが、別にあやまるほどの事もなく、老先生はいかにも親切にいろいろな話をして聞かして、僕は何だか急にこの老人が好きになり、自分のお祖父《じい》さんのような気がするようになった。
 その後僕は毎日のように老先生の家を訪ねた。学校から帰るとすぐに先生の宅へ駆けつける、老人と孫娘の愛子はいつも気嫌《きげん》よく僕を迎えてくれる。そして外から見るとは大違い、先生の家は陰気どころかはなはだ快活で、下男の太助はよく滑稽《おどけ》を言うおもしろい男、愛子は小学校にも行かぬせいかして少しも人ずれのしない、何とも言えぬ奥ゆかしさのあるかあいい少女《おとめ》、老先生ときたらまるで人のよいお祖父《じい》さんたるに過ぎない。僕は一か月も大沢の家《うち》へ通ううち、今までの生意気な小賢《こざか》しいふうが次第に失せてしまった。
 前に話した松の根で老人が書《ほん》を見ている間《ひま》に、僕と愛子は丘の頂《いただき》の岩に腰をかけて夕日を見送った事も幾度だろう。
 これが僕の初恋、そして最後の恋さ。僕の大沢と名のる理由《わけ》も従ってわかったろう。



底本:「武蔵野」岩波文庫、岩波書店
   1939(昭和14)年2月15日第1刷発行
   1972(昭和47)年8月16日第37刷改版発行
   2002(平成14)年4月5日第77刷発行
底本の親本:「武蔵野」民友社
   1901(明治34)年3月
初出:「太平洋」
   1900(明治33)年10月
入力:土屋隆
校正:蒋龍
2009年4月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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