のお邪魔になるとサ』
『坊やがやかましいのではないお前がしゃべるのだよ』
『オヤオヤ今度は母様《かあさん》がしかられましたよ、ね坊や父様が、「やかましッ」て、こわいことねえ、だから黙ってねんねおし』
「困るね、そんな事を言っても坊にゃわからないのだからお前さえ黙ればいいんだよ』
『貞坊や、坊やはお話がわからないとサ、「わかりますッ」てお言い、坊やわかりますよッて』
 右の始末に候間小生もついに『おしゃべり』のあだ名を与えてもはや彼の勝手に任しおり候
 おしゃべりはともかくも小供のためにあの仲のよい姑《しゅうとめ》と嫁がどうして衝突を、と驚かれ候わんかなれど決してご心配には及ばず候、これには奇々妙々の理由《わけ》あることにて、天保《てんぽう》十四年生まれの母上の方が明治十二年生まれの妻《さい》よりも育児の上においてむしろ開化主義たり急進党なることこそその原因に候なれ、妻はご存じの田舎者《いなかもの》にて当今の女学校に入学せしことなければ、育児学など申す学問いたせしにもあらず、言わば昔風の家に育ちしただの女が初めて子を持ちしまでゆえ、無論小児を育てる上に不行き届きのこと多きに引き換え、母上は例の何事も後《あと》へは退《ひ》かぬご気性なるが上に孫かあいさのあまり平生《へいぜい》はさまで信仰したまわぬ今の医師及び産婆の注意の一から十まで真っ正直に受けたもうて、それはそれは寝るから起きるから乳を飲ます時間から何やかと用意周到のほど驚くばかりに候、さらに驚くべきは小生が妻のためにとて求め来たりし育児に関する書籍などを妻はまだろくろく見もせぬうちに、母上は老眼に眼鏡《めがね》かけながら暇さえあれば片っ端より読まれ候てなるほどなるほどと感心いたされ候ことに候、右等の事情より自然未熟なる妻の不注意をはなはだ気にしたもうという次第しかるに妻はまた『母《かあ》さまそれは「母の務め」の何枚目に書いてありました』などとまぜ返しを申し候ことなり、いよいよ母上はやっきとなりたもうて『お前はカラ旧癖《きゅうへい》だから困る』と答えられ候、『世は逆《さか》さまになりかけた』と祖父《じい》様大笑いいたされ候も無理ならぬ事にござ候
 先日貞夫少々|風邪《かぜ》の気《け》ありし時、母上目を丸くし
『小児が六歳までの間に死にます数は実におびただしいものでワッペウ[#「ワッペウ」に傍線]氏の表には平均百人の中
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