…さア今《も》一度言って御覧ん。事とすべ[#「すべ」に傍点]に依《よ》ればお光も呼んで立合わすよ」という剣幕。この時二階の笑声もぴたり止んで、下を覗《うか》がい聞耳をたてている様子。自分は狼狽《うろた》えて言葉が出ない。もじもじしていると台所口で「お待遠さま」という声がした。母は、
「お光、お光お鮨が来たよ」と呼んだ。お光は下りて来る。格子《こうし》が開いたと思うと「今日は」と入って来たのが一人の軍曹。自分をちょっと尻目《しりめ》にかけ、
「御馳走様《ごちそうさま》」とお光が運ぶ鮨の大皿を見ながら、ひょろついて尻餅《しりもち》をついて、長火鉢の横にぶっ坐った。
「おやまあ可いお色ですこと」と母は今自分を睨《にら》みつけていた眼に媚《こび》を浮べて「何処で」
「ハッハッ……それは軍事上の秘密に属します」と軍曹酒気を吐いて「お茶を一ぱい頂戴《ちょうだい》」
「今入れているじゃありませんか、性急《せわし》ない児《こ》だ」と母は湯呑《ゆのみ》に充満《いっぱい》注《つ》いでやって自分の居ることは、最早《もう》忘れたかのよう。二階から大声で、
「大塚、大塚!」
「貴所《あなた》下りてお出《い》でな
前へ
次へ
全65ページ中40ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国木田 独歩 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング