人だ。百円盗んで置きながら親子の縁を切るなど文句が面白ろい。初から他人なのだ。
 自分は小供の時から母に馴染《なじ》まなんだ。母も自分には極《きわめ》て情が薄かった。
 明日は日曜。同勢四五人舟で押出す約束であるが、お露も連れこみたいものだ。

 大河今蔵の日記は以上にて終りぬ。彼は翌日誤って舟より落ち遂に水死せるなり。酔に任せ起《た》って躍《おど》りいたるに突然水の面《おも》を見入りつ、お政々々と連呼してそのまま顛落《てんらく》せるなりという。
 記者去年帰省して旧友の小学校教員に会う、この日記は彼の手に秘蔵されいたるなり。馬島《うましま》に哀れなる少女あり大河の死後四月にして児を生む、これ大河が片身、少女はお露なりとぞ。
 猶《な》お友の語るところに依れば、お露は美人ならねどもその眼に人を動かす力あふれ、小柄《こづくり》なれども強健なる体格を具《そな》え、島の若者多くは心ひそかにこれを得んものと互に争いいたるを、一度《ひとたび》大河に少女の心|移《うつる》や、皆大河のためにこれを祝して敢《あえ》て嫉《ねたむ》もの無かりしという。
 お露は児のために生き、児は島人《しまびと》の何人《なんぴと》にも抱《いだ》かれ、大河はその望むところを達して島の奥、森蔭暗き墓場に眠るを得たり。
 記者思うに不幸なる大河の日記に依りて大河の総《すべて》を知ること能《あた》わず、何となれば日記は則《すなわ》ち大河自身が書き、しかしてその日記には彼が馬島に於ける生活を多く誌《しる》さざればなり。故《ゆえ》に余輩は彼を知るに於て、彼の日記を通して彼の過去を知るは勿論《もちろん》、馬島に於ける彼が日常をも推測せざる可《べか》らず。
 記者は彼を指して不幸なる男よというのみ、その他を言うに忍びず、彼もまた自己を憐《あわ》れみて、ややもすれば曰《いわ》く、ああ不幸なる男よと。
 酒中日記とは大河自から題したるなり。題して酒中日記という既に悲惨《ひさん》なり、況《いわ》んや実際彼の筆を採る必ず酔後に於てせるをや。この日記を読むに当《あたっ》て特に記憶すべきは実に又この事実なり。
 お政は児を負《お》うて彼に先《さきだ》ち、お露は彼に残されて児を負う。何《いず》れか不幸、何《いずれ》か悲惨。



底本:「牛肉と馬鈴薯・酒中日記」新潮文庫、新潮社
   1970(昭和45)年5月30日発行
入力:八
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