う》の日記がお休み。
 さても気楽な教員。酒を飲うが歌おうが、お露《つゆ》を可愛《かあい》がって抱いて寝ようが、それで先生の資格なしとやかましく言う者はこの島に一人もない。
 特別に自分を尊敬も為《し》ない代りに、魚《うお》あれば魚、野菜あれば野菜、誰が持て来たとも知れず台所に投《ほう》りこんである。一升|徳利《どくり》をぶらさげて先生、憚《はばか》りながら地酒では御座らぬ、お露の酌で飲んでみさっせと縁先へ置いて去《い》く老人もある。
 ああ気楽だ、自由だ。母もいらぬ、妹《いもと》もいらぬ、妻子《つまこ》もいらぬ。慾もなければ得もない。それでいてお露が無暗《むやみ》に可愛のは不思議じゃないか。
 何が不思議。可愛いから可愛いので、お露とならば何時でも死ぬる。
 十日前のこと、自分は縁先に出て月を眺《なが》め、朧《おぼ》ろに霞《かす》んで湖水のような海を見おろしながら、お露の酌で飲んでいると、ふと死んだ妻子《つまこ》のこと、東京の母や妹《いもと》のことを思いだし、又この身の流転を思うて、我知らず涙を落すと、お露は見ていたが、その鈴のような眼に涙を一ぱい含くませた。その以前自分はお露に涙を見せたことなく、お露もまた自分に涙を見せたことはないのである。さても可愛いこの娘、この大河なる団栗眼《どんぐりまなこ》の猿のような顔《つら》をしている男にも何処《どこ》か異《おつ》なところが有るかして、朝夕慕い寄り、乙女《おとめ》心の限りを尽して親切にしてくれる不憫《ふびん》さ。
 自然生《じねんじょ》の三吉が文句じゃないが、今となりては、外に望は何もない、光栄ある歴史もなければ国家の干城たる軍人も居ないこの島。この島に生れてこの島に死し、死してはあの、そら今風が鳴っている山陰の静かな墓場に眠る人々の仲間入りして、この島の土となりたいばかり。
 お露を妻《かか》に持って島の者にならっせ、お前さん一人、遊んでいても島の者が一生養なって上げまさ、と六兵衛が言ってくれた時、嬉《うれ》しいやら情けないやらで泣きたかった。
 そして見ると、自分の周囲《まわり》には何処かに悲惨《ひさん》の影が取巻ていて、人の憐愍《れんみん》を自然に惹《ひ》くのかも知れない。自分の性質には何処かに人なつこい[#「なつこい」に傍点]ところがあって、自《おのず》と人の親愛を受けるのかもしれない。
 何《いず》れにせよ、
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