を知るものなく、まして一人の旅客《たびびと》が情けの光をや。
※[#「月+溲のつくり」、第4水準2−85−45]土《しゅうど》
美《うる》わしき菫《すみれ》の種と、やさしき野菊の種と、この二つの一つを石多く水少なく風|勁《つよ》く土焦げたる地にまき、その一つを春風ふき霞《かすみ》たなびき若水《わかみず》流れ鳥|啼《な》き蒼空《あおぞら》のはて地に垂《た》るる野にまきぬ。一つは枯れて土となり、一つは若葉|萌《も》え花咲きて、百年《ももとせ》たたぬ間に野は菫の野となりぬ。この比喩《ひゆ》を教えて国民の心の寛《ひろ》からんことを祈りし聖者《ひじり》おわしける。されどその民の土やせて石多く風|勁《つよ》く水少なかりしかば、聖者《ひじり》がまきしこの言葉《ことのは》も生育《そだつ》に由なく、花も咲かず実も結び得で枯れうせたり。しかしてその国は荒野《あれの》と変わりつ。
路傍の梅
少女《おとめ》あり、友が宅にて梅の実をたべしにあまりにうまかりしかば、そのたねを持ち帰り、わが家《や》の垣根《かきね》に埋めおきたり。少女《おとめ》は旅人が立ち寄る小さき茶屋の娘なりき、年経てその家倒れ、家ありし辺《あた》りは草深き野と変わりぬ。されど路傍なる梅の老木《おいき》のみはますます栄えて年々、花咲き、うまき実を結べば、道ゆく旅客《たびびと》らはちぎりて食い、その渇《かわ》きし喉《のんど》をうるおしけり。されどたれありて、この梅をここにまきし少女《おとめ》のこの世にありしや否やを知らず。
[#地から2字上げ](明治三十一年四月作)
底本:「武蔵野」岩波文庫、岩波書店
1939(昭和14)年2月15日第1刷発行
1972(昭和47)年8月16日第37刷改版発行
2002(平成14)年4月5日第77刷発行
底本の親本:「武蔵野」民友社
1901(明治34)年3月
初出:「家庭雑誌」
1898(明治31)年4月
入力:土屋隆
校正:蒋龍
2009年3月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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