らから》に向かっていえば二人は顔赤らめ、老婦《おうな》は大声に笑いぬ。源叔父は櫓《ろ》こぎつつ眼《まなこ》を遠き方《かた》にのみ注《そそ》ぎて、ここにも浮世の笑声高きを空耳《そらみみ》に聞き、一言も雑《まじ》えず。
「紀州を家に伴えりと聞きぬ、信《まこと》にや」若者の一人、何をか思い出《いで》て問う。
「さなり」翁は見向きもせで答えぬ。
「乞食の子を家に入れしは何ゆえぞ解《げ》しがたしと怪しむものすくなからず、独りはあまりに淋しければにや」
「さなり」
「紀州ならずとも、ともに住むほどの子島にも浦にも求めんにはかならずあるべきに」
「げにしかり」と老婦《おうな》口を入れて源叔父の顔を見上げぬ。源叔父はもの案じ顔にてしばし答えず。西の山|懐《ふところ》より真直に立ちのぼる煙の末の夕日に輝きて真青《まさお》なるをみつめしようなり。
「紀州は親も兄弟も家もなき童《わらべ》なり、我は妻も子もなき翁《おきな》なり。我彼の父とならば、彼我の子となりなん、ともに幸いならずや」独語《ひとりごと》のようにいうを人々心のうちにて驚きぬ、この翁がかく滑らかに語りいでしを今まで聞きしことなければ。
「げに月日
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