波なお高く沖は雷《らい》の轟《とどろ》くようなる音し磯打つ波砕けて飛沫《しぶき》雨のごとし。人々荒跡を見廻るうち小舟一|艘《そう》岩の上に打上げられてなかば砕けしまま残れるを見出しぬ。
「誰《たれ》の舟ぞ」問屋《といや》の主人《あるじ》らしき男問う。
「源叔父の舟にまぎれなし」若者の一人答えぬ。人々顔見あわして言葉なし。
「誰《た》れにてもよし源叔父呼びきたらずや」
「われ行かん」若者は舷燈を地に置きて走りゆきぬ。十歩の先すでに見るべし。道に差出でし松が枝《え》より怪しき物さがれり。胆《きも》太き若者はずかずかと寄りて眼定めて見たり。縊《くび》れるは源叔父なりき。
桂港《かつらみなと》にほど近き山ふところに小さき墓地ありて東に向かいぬ。源叔父の妻ゆり独子《ひとりご》幸助の墓みなこの処にあり。「池田源太郎之墓」と書きし墓標またここに建てられぬ。幸助を中にして三つの墓並び、冬の夜は霙《みぞれ》降ることもあれど、都なる年若き教師は源叔父今もなお一人|淋《さみ》しく磯辺に暮し妻子《つまこ》の事思いて泣きつつありとひとえに哀れがりぬ。
紀州は同じく紀州なり、町のものよりは佐伯《さいき》附属の品とし視《み》らるること前のごとく、墓より脱け出でし人のようにこの古城市の夜半《よわ》にさまようこと前のごとし。ある人彼に向かいて、源叔父は縊れて死にたりと告げしに、彼はただその人の顔をうちまもりしのみ。
底本:「日本文学全集12 国木田独歩 石川啄木集」集英社
1967(昭和42)年9月7日初版
1972(昭和47)年9月10日9版
底本の親本:「国木田独歩全集」学習研究社
入力:j.utiyama
校正:八巻美恵
1998年10月21日公開
2004年6月6日修正
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