然パラ/\と音がして来たので余は外に出て見ると、日は薄く光り、雲は静に流れ、寂たる深林を越えて時雨《しぐれ》が過ぎゆくのであつた。
 余は宿の子を残して、一人|此辺《このあたり》を散歩すべく小屋を出た。
 げに怪しき道路よ。これ千年の深林を滅《めつ》し、人力を以て自然に打克《うちかた》んが為めに、殊更に無人《ぶじん》の境《さかひ》を撰んで作られたのである。見渡すかぎり、両側の森林これを覆ふのみにて、一個の人影《じんえい》すらなく、一縷《いちる》の軽煙すら起らず、一の人語すら聞えず、寂々《せき/\》寥々《れう/\》として横はつて居る。
 余は時雨の音の淋しさを知つて居る、然し未だ曾《かつ》て、原始の大深林を忍びやかに過ぎゆく時雨ほど淋びしさを感じたことはない。これ実に自然の幽寂なる私語《さゝやき》である。深林の底に居て、此|音《ね》を聞く者、何人か生物を冷笑する自然の無限の威力を感ぜざらん。怒濤、暴風、疾雷、閃雷は自然の虚喝《きよかつ》である。彼の威力の最も人に迫るのは、彼の最も静かなる時である。高遠なる蒼天の、何の声もなく唯だ黙して下界を視下《みおろ》す時、曾《かつ》て人跡を許さゞりし深林の奥深き処、一片の木の葉の朽ちて風なきに落つる時、自然は欠伸《あくび》して曰く「あゝ我《わが》一日も暮れんとす」と、而して人間の一千年は此刹那に飛びゆくのである。
 余は両側の林を覗きつゝ行くと、左側で林のやゝ薄くなつて居る処を見出した。下草を分けて進み、ふと顧みると、此身は何時しか深林の底に居たのである。とある大木の朽ちて倒れたるに腰をかけた。
 林が暗くなつたかと思ふと、高い枝の上を時雨がサラ/\と降つて来た。来たかと思ふと間もなく止んで森《しん》として林は静まりかへつた。
 余は暫くジツとして林の奥の暗くなつて居る処を見て居た。
 社会が何処にある、人間の誇り顔に伝唱する「歴史」が何処にある。此場所に於て、此時に於て、人はたゞ「生存」其者《そのもの》の、自然の一呼吸の中に托されてをることを感ずるばかりである。露国の詩人は曾て森林の中に坐して、死の影の我に迫まるを覚えたと言つたが、実にさうである。又た曰く「人類の最後の一人が此の地球上より消滅する時、木の葉の一片も其為にそよがざるなり」と。
 死の如く静なる、冷やかなる、暗き、深き森林の中に坐して、此の如きの威迫を受けないものは誰も無からう。余我を忘れて恐ろしき空想に沈んで居ると、
「旦那! 旦那!」と呼ぶ声が森の外でした。急いで出て見ると宿の子が立つて居る。
「最早《もう》御用が済んで[#「で」に「〔ママ〕」の注記]帰りましやう」
 其処で二人は一先づ小屋に帰ると、井田は、
「どうです今夜は試験のために一晩此処に泊つて御覧になつては。」

 余は遂に再び北海道の地を踏まないで今日に到つた。たとひ一家の事情は余の開墾の目的を中止せしめたにせよ、余は今も尚ほ空知川の沿岸を思ふと、あの冷厳なる自然が、余を引つけるやうに感ずるのである。
 何故だらう。
[#地から2字上げ](明治三十五年十一月―十二月)



底本:「現代日本文學大系 11 國木田獨歩・田山花袋集」筑摩書房
   1970(昭和45)年3月15日初版第1刷発行
   1973(昭和48)年9月1日初版第4刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:林田清明
校正:大西敦子
2000年6月27日公開
2006年3月18日修正
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