ない。
「ヤレ月の光が美だとか花の夕《ゆうべ》が何だとか、星の夜は何だとか、要するに滔々《とうとう》たる詩人の文字《もんじ》は、あれは道楽です。彼等は決して本物を見てはいない、まぼろし[#「まぼろし」に傍点]を見ているのです、習慣の眼が作るところのまぼろし[#「まぼろし」に傍点]を見ているに過ぎません。感情の遊戯です。哲学でも宗教でも、その本尊は知らぬことその末代の末流に至ては悉くそうです。
「僕の知人にこう言った人があります。吾とは何ぞや((What am I ?))なんちょう馬鹿な問を発して自から苦《くるしむ》ものがあるが到底知れないことは如何《いか》にしても知れるもんでない、とこう言って嘲笑《ちょうしょう》を洩《も》らした人があります。世間並からいうとその通りです、然しこの問は必ずしもその答を求むるが為めに発した問ではない。実にこの天地に於けるこの我ちょうものの如何にも不思議なることを痛感して自然に発したる心霊の叫である。この問その物が心霊の真面目なる声である。これを嘲《あざけ》るのはその心霊の麻痺《まひ》を白状するのである。僕の願は寧《むし》ろ、どうにかしてこの問を心から発したいのであります。ところがなかなかこの問は口から出ても心からは出ません。
「我|何処《いずく》より来《きた》り、我何処にか往《ゆ》く、よく言う言葉であるが、矢張りこの問を発せざらんと欲して発せざるを得ない人の心から宗教の泉は流れ出るので、詩でもそうです、だからその以外は悉く遊戯です虚偽です。
「もう止《よ》しましょう! 無益《だめ》です、無益《だめ》です、いくら言っても無益《だめ》です。……アア疲労《くたびれ》た! しかし最後に一|言《ごん》しますがね、僕は人間を二種に区別したい、曰《いわ》く驚く人、曰く平気な人……」
「僕は何方《どちら》へ属するのだろう!」と松木は笑いながら問うた。
「無論、平気な人に属します、ここに居る七人は皆な平気の平三《へいざ》の種類に属します。イヤ世界十幾億万人の中《うち》、平気な人でないものが幾人ありましょうか、詩人、哲学者、科学者、宗教家、学者でも、政治家でも、大概は皆な平気で理窟《りくつ》を言ったり、悟り顔をしたり、泣いたりしているのです。僕は昨夜|一《ひとつ》の夢を見ました。
「死んだ夢を見ました。死んで暗い道を独《ひと》りでとぼとぼ辿《たど》って行きながら思わず『マサカ死《しの》うとは思わなかった!』と叫びました。全くです、全く僕は叫びました。
「そこで僕は思うんです、百人が百人、現在、人の葬式に列したり、親に死なれたり子に死れたりしても、矢張り自分の死んだ後《あと》、地獄の門でマサカ自分が死うとは思わなかったと叫んで鬼に笑われる仲間でしょう。ハッハッハッハッハッハッハッハッ」
「人に驚かして貰《もら》えばしゃっくり[#「しゃっくり」に傍点]が止るそうだが、何も平気で居て牛肉が喰《く》えるのに好んで喫驚《びっくり》したいというのも物数奇《ものずき》だねハハハハ」と綿貫はその太い腹をかかえた。
「イヤ僕も喫驚《びっくり》したいと言うけれど、矢張り単にそう言うだけですよハハハハ」
「唯《た》だ言うだけかアハハハハ」
「唯だ言うだけのことか、ヒヒヒヒ」
「そうか! 唯だお願い申してみる位なんですねハッハッハッハッ」
「矢張り道楽でさアハッハッハハッ」と岡本は一所《いっしょ》に笑ったが、近藤は岡本の顔に言う可からざる苦痛の色を見て取った。



底本:新潮文庫『牛肉と馬鈴薯・酒中日記』
   1970(昭和45)年5月30日発行
入力:八木正三
校正:LUNA CAT
1998年5月23日公開
1999年8月18日修正
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