|真面目《まじめ》になった。
「其先《さき》を僕が言おうか、こうでしょう、最後《おしまい》にその少女《むすめ》が欠伸《あくび》一つして、それで神聖なる恋が最後《おしまい》になった、そうでしょう?」と近藤も何故《なぜ》か真面目で言った。
「ハッハッハッハッハッハッ」と二三人が噴飯《ふきだ》して了った。
「イヤ少なくとも僕の恋はそうであった」と近藤は言い足した。
「君でも恋なんていうことを知っているのかね」これは井山の柄にない言草。
「岡本君の談話《はなし》の途中だが僕の恋を話そうか? 一分間で言える、僕と或|少女《むすめ》と乙な中《なか》になった、二人は無我夢中で面白い月日を送った、三月目に女が欠伸一つした、二人は分れた、これだけサ。要するに誰《たれ》の恋でもこれが大切《おおぎり》だよ、女という動物は三月たつと十人が十人、飽《あ》きて了う、夫婦なら仕方がないから結合《くっつ》いている。然しそれは女が欠伸を噛殺《かみころ》してその日を送っているに過ぎない、どうです君はそう思いませんか?」
「そうかも知れません、然し僕のは幸にその欠伸までに達しませんでした、先を聴いて下さい。
「僕もその頃、上村|君《さん》のお話と同様、北海道熱の烈《はげ》しいのに罹《かか》っていました、実をいうと今でも北海道の生活は好かろうと思っています。それで僕も色々と想像を描いていたので、それを恋人と語るのが何よりの楽《たのしみ》でした、矢張上村君の亜米利加《アメリカ》風の家は僕も大判の洋紙へ鉛筆で図取《ずどり》までしました。しかし少し違うのは冬の夜の窓からちらちらと燈火《あかり》を見せるばかりでない、折り折り楽しそうな笑声、澄んだ声で歌う女の唱歌を響かしたかったのです、……」
「だって僕は相手が無かったのですもの」と上村が情けなそうに言ったので、どっと皆《みんな》が笑った。
「君が馬鈴薯《じゃがいも》党を変節したのも、一はその故《せい》だろう」と綿貫が言った。
「イヤそれは嘘言《うそ》だ、上村君にもし相手があったら北海道の土を踏《ふま》ぬ先に変節していただろうと思う、女と言う奴《やつ》が到底馬鈴薯主義を実行し得《う》るもんじゃアない。先天的のビフテキ党だ、ちょうど僕のようなんだ。女は芋《いも》が嗜好《す》きなんていうのは嘘《うそ》サ!」と近藤が怒鳴るように言った。その最後の一句で又た皆がどっと笑った。
「それで二人は」と岡本が平気で語りだしたので漸々《ようよう》静まった。
「二人は将来の生活地を北海道と決めていまして、相談も漸く熟したので僕は一先《ひとまず》故郷《くに》に帰り、親族に托《たく》してあった山林田畑を悉《ことごと》く売り飛ばし、その資金で新開墾地を北海道に作ろうと、十日間位の積《つもり》で国に帰ったのが、親族の故障やら代価の不折合《ふおりあい》やらで思わず二十日もかかりました。 すると或日|少女《むすめ》の母から電報が来ました、驚いて取る物も取あえず帰京してみると、少女《むすめ》は最早《もう》死んでいました」
「死んで?」と松木は叫けんだ。
「そうです、それで僕の総《すべ》ての希望が悉く水の泡《あわ》となって了いました」と岡本の言葉が未だ終らぬうち近藤は左の如く言った、それが全《まる》で演説口調、
「イヤどうも面白い恋愛談《ラブだん》を聴かされ我等一同感謝の至に堪《た》えません、さりながらです、僕は岡本君の為めにその恋人の死を祝します、祝すというが不穏当ならば喜びます、ひそかに喜びます、寧《むし》ろ喜びます、却《かえっ》て喜びます、もしもその少女《むすめ》にして死ななんだならばです、その結果の悲惨なる、必ず死の悲惨に増すものが有ったに違いないと信ずる」
 とまでは頗《すこぶ》る真面目であったが、自分でも少し可笑《おか》しくなって来たか急に調子を変え、声を低うし笑味《えみ》を含ませて、
「何となれば、女は欠伸《あくび》をしますから……凡《およ》そ欠伸に数種ある、その中|尤《もっと》も悲むべく憎くむ可《べ》きの欠伸が二種ある、一は生命に倦《う》みたる欠伸、一は恋愛に倦みたる欠伸、生命に倦みたる欠伸は男子の特色、恋愛に倦みたる欠伸は女子《にょし》の天性、一は最も悲しむべく、一は尤も憎むべきものである」
 と少し真面目な口調に返り、
「則《すなわ》ち女子《にょし》は生命に倦むということは殆どない、年若い女が時々そんな様子を見せることがある、然しそれは恋に渇しているより生ずる変態たるに過ぎない、幸《さいわい》にしてその恋を得る、その後幾年月かは至極楽しそうだ、真に楽しそうだ、恐らく楽《たのしみ》という字の全意義はかかる女子《にょし》の境遇に於《おい》て尽されているだろう。然し忽ち倦《うん》で了う、則ち恋に倦でしまう、女子《にょし》の恋に倦だ奴ほど始末にいけ
前へ 次へ
全10ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国木田 独歩 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング