、君等は牛肉党なんだ、牛肉主義なんだ、僕のは牛肉が最初から嗜きなんだ、主義でもヘチマ[#「ヘチマ」に傍点]でもない!」
「大に賛成ですなア」と静《しずか》に沈重《おちつ》いた声で言った者がある。
「賛成でしょう!」と近藤はにやり笑って岡本の顔を見た。
「至極賛成ですなア、主義でないと言うことは至極賛成ですなア、世の中の主義って言う奴ほど愚なものはない」と岡本はその冴《さ》え冴《ざ》えした眼光を座上に放った。
「その説を承たまわろう、是非願いたい!」と近藤はその四角な腮《あご》を突き出した。
「君は何方《どちら》なんです、牛と薯《いも》、エ、薯でしょう?」と上村は知った顔に岡本の説を誘《いざの》うた。
「僕も矢張、牛肉党に非ず、馬鈴薯党にあらずですなア、然し近藤君のように牛肉が嗜《す》きとも決っていないんです。勿論《もちろん》例の主義という手製料理は大嫌《だいきらい》ですが、さりとて肉とか薯《いも》とかいう嗜好《しこう》にも従うことが出来ません」
「それじゃア何だろう?」と井山がその尤《もっと》もらしいしょぼしょぼ眼《まなこ》をぱちつかした。
「何でもないんです、比喩《ひゆ》は廃《よ》して露骨に申しますが、僕はこれぞという理想を奉ずることも出来ず、それならって俗に和して肉慾を充《みた》して以て我生足れりとすることも出来ないのです、出来ないのです、為《し》ないのではないので、実をいうと何方《どちら》でも可いから決めて了ったらと思うけれど何という因果か今以て唯《た》った一つ、不思議な願を持ているからそのために何方《どちら》とも得決《えき》めないでいます」
「何だね、その不思議な願と言うのは?」と近藤は例の圧《お》しつけるような言振《いいぶり》で問うた。
「一口には言えない」
「まさか狼《おおかみ》の丸焼で一杯飲みたいという洒落《しゃれ》でもなかろう?」
「まずそんなことです。……実は僕、或|少女《むすめ》に懸想《けそう》したことがあります」と岡本は真面目で語り出《いだ》した。
「愉快々々、談|愈々《いよいよ》佳境に入《い》って来たぞ、それからッ?」と若い松木は椅子を煖炉《ストーブ》の方へ引寄た。
「少し談《はなし》が突然《だしぬけ》ですがね、まず僕の不思議の願というのを話すにはこの辺から初めましょう。その少女《むすめ》はなかなかの美人でした」
「ヨウ! ヨウ!」と松木は躍
前へ
次へ
全20ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国木田 独歩 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング