っと見た。
※[#アステリズム、1−12−94]
飯田町の狭い路地から貧しい葬儀《とむらい》が出た日の翌日の朝の事である。新宿|赤羽《あかばね》間の鉄道線路に一人の轢死者《れきししゃ》が見つかった。
轢死者は線路のそばに置かれたまま薦《こも》がかけてあるが、頭の一部と足の先だけは出ていた。手が一本ないようである。頭は血にまみれていた。六人の人がこのまわりをウロウロしている。高い土手の上に子守《こもり》の小娘が二人と職人体《しょくにんてい》の男が一人、無言で見物しているばかり、あたりには人影がない。前夜の雨がカラリ[#「カラリ」に傍点]とあがって、若草若葉の野は光り輝いている。
六人の一人は巡査、一人は医者、三人は人夫、そして中折れ帽をかぶって二子《ふたこ》の羽織を着た男は村役場の者らしく、線路に沿うて二三間の所を行きつもどりつしている。始終談笑しているのが巡査と人夫で、医者はこめかみのへんを両手で押えてしゃがんでいる。けだし棺おけの来るのを皆が待っているのである。
「二時の貨物車でひかれたのでしょう。」と人夫の一人が言った。
「その時はまだ降っていたかね?」と巡査が煙草《たばこ》に火をつけながら問うた。
「降っていましたとも。雨のあがったのは三時過ぎでした。」
「どうも病人らしい。ねえ大島さん。」と巡査は医者のほうを向いた、大島医師は巡査が煙草を吸っているのを見て、自分も煙草を出して巡査から火を借りながら、
「無論病人です。」と言って轢死者のほうをちょっと見た。すると人夫が
「きのうそこの原をうろついていたのがこの野郎に違いありません。確かにこの外套《がいとう》を着た野郎です、ひょろひょろ歩いては木の陰に休んでいました。」
「そうするとなんだナ、やはり死ぬ気で来たことは来たが昼間は死ねないで夜やったのだナ。」と巡査は言いながら、くたびれて上り下り両線路の間にしゃがんだ。
「やっこさん、あの雨にどしどし降られたので、どうにもこうにもやりきれなくなって、そこの土手からころがり落ちて線路の上へぶったおれたのでしょう。」と、人夫は見たように話す。
「なにしろ哀れむべきやつサ。」と巡査が言って何心なく土手を見ると、見物人がふえて学生らしいのもまじっていた。
この時赤羽行きの汽車が朝日をまともに車窓に受けて威勢よく走って来た。そして火夫も運転手も乗客も、みな身を乗り出して薦《こも》のかけてある一物《いちもつ》を見た。
この一物は姓名も原籍も不明というので、例のとおり仮埋葬の処置を受けた。これが文公の最後であった。
実に人夫が言ったとおり、文公はどうにもこうにもやりきれ[#「やりきれ」に傍点]なくって倒れたのである。(完)
底本:「号外・少年の悲哀 他六篇」岩波文庫、岩波書店
1939(昭和14)年4月17日 第1刷発行
1960(昭和35)年1月25日 第14刷改版発行
1981(昭和56)年4月10日 第34刷発行
入力:紅 邪鬼
校正:鈴木厚司
2000年7月5日公開
2004年6月22日修正
青空文庫作成ファイル:
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