畫の悲み
国木田独歩

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)畫《ゑ》を好《す》かぬ

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)二|流《りう》以下《いか》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「圖」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」、466−8]畫《づぐわ》

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)しば/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 畫《ゑ》を好《す》かぬ小供《こども》は先《ま》づ少《すく》ないとして其中《そのうち》にも自分《じぶん》は小供《こども》の時《とき》、何《なに》よりも畫《ゑ》が好《す》きであつた。(と岡本某《をかもとぼう》が語《かた》りだした)。
 好《す》きこそ物《もの》の上手《じやうず》とやらで、自分《じぶん》も他《た》の學課《がくゝわ》の中《うち》畫《ゑ》では同級生《どうきふせい》の中《うち》自分《じぶん》に及《およ》ぶものがない。畫《ゑ》と數學《すうがく》となら、憚《はゞか》りながら誰《たれ》でも來《こ》いなんて、自分《じぶん》も大《おほい》に得意《とくい》がつて居《ゐ》たのである。しかし得意《とくい》といふことは多少《たせう》競爭《きやうさう》を意味《いみ》する。自分《じぶん》の畫《ゑ》の好《す》きなことは全《まつた》く天性《てんせい》といつても可《よ》からう、自分《じぶん》を獨《ひとり》で置《お》けば畫《ゑ》ばかり書《か》いて居《ゐ》たものだ。
 獨《ひとり》で畫《ゑ》を書《か》いて居《ゐ》るといへば至極《しごく》温順《おとな》しく聞《きこ》えるが、其癖《そのくせ》自分《じぶん》ほど腕白者《わんぱくもの》は同級生《どうきふせい》の中《うち》にないばかりか、校長《かうちやう》が持《も》て餘《あま》して數々《しば/\》退校《たいかう》を以《もつ》て嚇《おど》したのでも全校《ぜんかう》第《だい》一といふことが分《わか》る。
 全校《ぜんかう》第《たい》[#ルビの「たい」に「ママ」の注記]一|腕白《わんぱく》でも數學《すうがく》でも。しかるに天性《てんせい》好《す》きな畫《ゑ》では全校《ぜんかう》第《だい》一の名譽《めいよ》を志村《しむら》といふ少年《せうねん》に奪《うば》はれて居《ゐ》た。この少年《せうねん》は數學《すうがく》は勿論《もちろん》、其他《そのた》の學力《がくりよく》も全校《ぜんかう》生徒中《せいとちゆう》、第《だい》二|流《りう》以下《いか》であるが、畫《ゑ》の天才《てんさい》に至《いた》つては全《まつた》く並《なら》ぶものがないので、僅《わづか》に壘《るゐ》を摩《ま》さうかとも言《い》はれる者《もの》は自分《じぶん》一|人《にん》、其他《そのた》は悉《こと/″\》く志村《しむら》の天才《てんさい》を崇《あが》め奉《たてまつ》つて居《ゐ》るばかりであつた。ところが自分《じぶん》は志村《しむら》を崇拜《すうはい》しない、今《いま》に見《み》ろといふ意氣込《いきごみ》で頻《しき》りと勵《は》げんで居《ゐ》た。
 元來《ぐわんらい》志村《しむら》は自分《じぶん》よりか歳《とし》も兄《あに》、級《きふ》も一|年《ねん》上《うへ》であつたが、自分《じぶん》は學力《がくりよく》優等《いうとう》といふので自分《じぶん》の居《ゐ》る級《くらす》と志村《しむら》の居《ゐ》る級《くらす》とを同時《どうじ》にやるべく校長《かうちやう》から特別《とくべつ》の處置《しよち》をせられるので自然《しぜん》志村《しむら》は自分《じぶん》の競爭者《きやうさうしや》となつて居《ゐ》た。
 然《しか》るに全校《ぜんかう》の人氣《にんき》、校長《かうちやう》教員《けうゐん》を始《はじ》め何百《なんびやく》の生徒《せいと》の人氣《にんき》は、温順《おとな》しい志村《しむら》に傾《かたむ》いて居《ゐ》る、志村《しむら》は色《いろ》の白《しろ》い柔和《にうわ》な、女《をんな》にして見《み》たいやうな少年《せうねん》、自分《じぶん》は美少年《びせうねん》ではあつたが、亂暴《らんばう》な傲慢《がうまん》な、喧嘩好《けんくわず》きの少年《せうねん》、おまけに何時《いつ》も級《くらす》の一|番《ばん》を占《し》めて居《ゐ》て、試驗《しけん》の時《とき》は必《かな》らず最優等《さいゝうとう》の成績《せいせき》を得《う》る處《ところ》から教員《けうゐん》は自分《じぶん》の高慢《かうまん》が癪《しやく》に觸《さは》り、生徒《せいと》は自分《じぶん》の壓制《あつせい》が癪《しやく》に觸《さは》り、自分《じぶん》にはどうしても人氣《にんき》が薄《うす》い。そこで衆人《みんな》の心持《こゝろもち》は、せめて畫《ゑ》でなりと志村《しむら》を第《だい》一として、岡本《をかもと》の鼻柱《はなばしら》を挫《くだ》いてやれといふ積《つもり》であつた。自分《じぶん》はよく此《この》消息《せうそく》を解《かい》して居《ゐ》た。そして心中《しんちゆう》ひそかに不平《ふへい》でならぬのは志村《しむら》の畫《ゑ》必《かなら》ずしも能《よ》く出來《でき》て居《ゐ》ない時《とき》でも校長《かうちやう》をはじめ衆人《みんな》がこれを激賞《げきしやう》し、自分《じぶん》の畫《ゑ》は確《たし》かに上出來《じやうでき》であつても、さまで賞《ほ》めて呉《く》れ手《て》のないことである。少年《こども》ながらも自分《じぶん》は人氣《にんき》といふものを惡《にく》んで居《ゐ》た。
 或日《あるひ》學校《がくかう》で生徒《せいと》の製作物《せいさくぶつ》の展覽會《てんらんくわい》が開《ひら》かれた。其《その》出品《しゆつぴん》は重《おも》に習字《しふじ》、※[#「圖」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」、466−8]畫《づぐわ》、女子《ぢよし》は仕立物《したてもの》等《とう》で、生徒《せいと》の父兄姉妹《ふけいしまい》は朝《あさ》からぞろ/\と押《おし》かける。取《と》りどりの評判《ひやうばん》。製作物《せいさくぶつ》を出《だ》した生徒《せいと》は氣《き》が氣《き》でない、皆《み》なそは/\して展覽室《てんらんしつ》を出《で》たり入《はひ》つたりして居《ゐ》る自分《じぶん》も此《この》展覽會《てんらんくわい》に出品《しゆつぴん》する積《つも》りで畫紙《ゑがみ》一|枚《まい》に大《おほ》きく馬《うま》の頭《あたま》を書《か》いた。馬《うま》の顏《かほ》を斜《はす》に見《み》た處《ところ》で、無論《むろん》少年《せうねん》の手《て》には餘《あま》る畫題《ぐわだい》であるのを、自分《じぶん》は此《この》一|擧《きよ》に由《よつ》て是非《ぜひ》志村《しむら》に打勝《うちかた》うといふ意氣込《いきごみ》だから一|生懸命《しやうけんめい》、學校《がくかう》から宅《たく》に歸《かへ》ると一|室《しつ》に籠《こも》つて書《か》く、手本《てほん》を本《もと》にして生意氣《なまいき》にも實物《じつぶつ》の寫生《しやせい》を試《こゝろ》み、幸《さいは》ひ自分《じぶん》の宅《たく》から一丁[#ルビ抜けはママ]ばかり離《はな》れた桑園《くはゞたけ》の中《なか》に借馬屋《しやくばや》があるので、幾度《いくたび》となく其處《そこ》の廐《うまや》に通《かよ》つた。輪廓《りんくわく》といひ、陰影《いんえい》と云《い》ひ、運筆《うんぴつ》といひ、自分《じぶん》は確《たしか》にこれまで自分《じぶん》の書《か》いたものは勿論《もちろん》、志村《しむら》が書《か》いたものゝ中《うち》でこれに比《くら》ぶべき出來《でき》はないと自信《じしん》して、これならば必《かなら》ず志村《しむら》に勝《か》つ、いかに不公平《ふこうへい》な教員《けうゐん》や生徒《せいと》でも、今度《こんど》こそ自分《じぶん》の實力《じつりよく》に壓倒《あつたう》さるゝだらうと、大勝利《だいしようり》を豫期《よき》して出品《しゆつぴん》した。
 出品《しゆつぴん》の製作《せいさく》は皆《みん》な自宅《じたく》で書《か》くのだから、何人《なにぴと》も誰《たれ》が何《なに》を書《か》くのか知《し》らない、又《また》互《たがひ》に祕密《ひみつ》にして居《ゐ》た殊《こと》に志村《しむら》と自分《じぶん》は互《たがひ》の畫題《ぐわだい》を最《もつと》も祕密《ひみつ》にして知《し》らさないやうにして居《ゐ》た。であるから自分《じぶん》は馬《うま》を書《か》きながらも志村《しむら》は何《なに》を書《か》いて居《ゐ》るかといふ問《とひ》を常《つね》に懷《いだ》いて居《ゐ》たのである。
 さて展覽會《てんらんくわい》の當日《たうじつ》、恐《おそ》らく全校《ぜんかう》數百《すうひやく》の生徒中《せいとちゆう》尤《もつと》も胸《むね》を轟《とゞろ》かして、展覽室《てんらんしつ》に入《い》つた者《もの》は自分《じぶん》であらう。※[#「圖」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」、467−4]畫室《づぐわしつ》は既《すで》に生徒《せいと》及《およ》び生徒《せいと》の父兄姉妹《ふけいしまい》で充滿《いつぱい》になつて居《ゐ》る。そして二|枚《まい》の大畫《たいぐわ》(今日《けふ》の所謂《いはゆ》る大作《たいさく》)が並《なら》べて掲《かゝ》げてある前《まへ》は最《もつと》も見物人《けんぶつにん》が集《たか》つて居《ゐ》る二|枚《まい》の大畫《たいぐわ》は言《い》はずとも志村《しむら》の作《さく》と自分《じぶん》の作《さく》。
 一|見《けん》自分《じぶん》は先《ま》づ荒膽《あらぎも》を拔《ぬ》かれてしまつた。志村《しむら》の畫題《ぐわだい》はコロンブスの肖像《せうざう》ならんとは! 而《しか》もチヨークで書《か》いてある。元來《ぐわんらい》學校《がくかう》では鉛筆畫《えんぴつぐわ》ばかりで、チヨーク畫《ぐわ》は教《をし》へない。自分《じぶん》もチヨークで畫《か》くなど思《おも》ひもつかんことであるから、畫《ゑ》の善惡《よしあし》は兔《と》も角《かく》、先《ま》づ此《この》一|事《じ》で自分《じぶん》は驚《おどろ》いてしまつた。その上《うへ》ならず、馬《うま》の頭《あたま》と髭髯《しぜん》面《めん》を被《おほ》ふ堂々《だう/\》たるコロンブスの肖像《せうざう》とは、一|見《けん》まるで比《くら》べ者《もの》にならんのである。且《か》つ鉛筆《えんぴつ》の色《いろ》はどんなに巧《たく》みに書《か》いても到底《たうてい》チヨークの色《いろ》には及《およ》ばない。畫題《ぐわだい》といひ色彩《しきさい》といひ、自分《じぶん》のは要《えう》するに少年《せうねん》が書《か》いた畫《ぐわ》、志村《しむら》のは本物《ほんもの》である。技術《ぎじゆつ》の巧拙《かうせつ》は問《と》ふ處《ところ》でない、掲《かゝ》げて以《もつ》て衆人《しゆうじん》の展覽《てんらん》に供《きよう》すべき製作《せいさく》としては、いかに我慢強《がまんづよ》い自分《じぶん》も自分《じぶん》の方《はう》が佳《い》いとは言《い》へなかつた。さなきだに志村《しむら》崇拜《すうはい》の連中《れんちゆう》は、これを見《み》て歡呼《くわんこ》して居《ゐ》る。『馬《うま》も佳《い》いがコロンブスは如何《どう》だ!』などいふ聲《こゑ》が彼處《あつち》でも此處《こつち》でもする。
 自分《じぶん》は學校《がくかう》の門《もん》を走《はし》り出《で》た。そして家《うち》には歸《かへ》らず、直《す》ぐ田甫《たんぼ》へ出《で》た。止《と》めやうと思《おも》ふても涙《なみだ》が止《と》まらない。口惜《くやし》いやら情《なさ》けないやら、前後夢中《ぜんごむちゆう》で川《かは》の岸《きし》まで走《はし》つて、川原《かはら》の草《くさ》の中《うち》に打倒《ぶつたふ》れてしまつた。
 足《あし》をばた/\やつて大聲《おほごゑ》を上《あ
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