志村《しむら》のは本物《ほんもの》である。技術《ぎじゆつ》の巧拙《かうせつ》は問《と》ふ處《ところ》でない、掲《かゝ》げて以《もつ》て衆人《しゆうじん》の展覽《てんらん》に供《きよう》すべき製作《せいさく》としては、いかに我慢強《がまんづよ》い自分《じぶん》も自分《じぶん》の方《はう》が佳《い》いとは言《い》へなかつた。さなきだに志村《しむら》崇拜《すうはい》の連中《れんちゆう》は、これを見《み》て歡呼《くわんこ》して居《ゐ》る。『馬《うま》も佳《い》いがコロンブスは如何《どう》だ!』などいふ聲《こゑ》が彼處《あつち》でも此處《こつち》でもする。
 自分《じぶん》は學校《がくかう》の門《もん》を走《はし》り出《で》た。そして家《うち》には歸《かへ》らず、直《す》ぐ田甫《たんぼ》へ出《で》た。止《と》めやうと思《おも》ふても涙《なみだ》が止《と》まらない。口惜《くやし》いやら情《なさ》けないやら、前後夢中《ぜんごむちゆう》で川《かは》の岸《きし》まで走《はし》つて、川原《かはら》の草《くさ》の中《うち》に打倒《ぶつたふ》れてしまつた。
 足《あし》をばた/\やつて大聲《おほごゑ》を上《あ
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