分《じぶん》の傍《そば》に來《きた》り、
『をや君《きみ》はチヨークで書《か》いたね。』
『初《はじ》めてだから全然《まるで》畫《ゑ》にならん、君《きみ》はチヨーク畫《ぐわ》を誰《だれ》に習《なら》つた。』
『そら先達《せんだつて》東京《とうきやう》から歸《かへ》つて來《き》た奧野《おくの》さんに習《なら》つた然《しか》し未《ま》だ習《なら》ひたてだから何《なん》にも書《か》けない。』
『コロンブスは佳《よ》く出來《でき》て居《ゐ》たね、僕《ぼく》は驚《おどろ》いちやツた。』
 それから二人《ふたり》は連立《つれだ》つて學校《がくかう》へ行《い》つた。此以後《このいご》自分《じぶん》と志村《しむら》は全《まつた》く仲《なか》が善《よ》くなり、自分《じぶん》は心《こゝろ》から志村《しむら》の天才《てんさい》に服《ふく》し、志村《しむら》もまた元來《ぐわんらい》が温順《おとな》しい少年《せうねん》であるから、自分《じぶん》を又無《またな》き朋友《ほういう》として親《した》しんで呉《く》れた。二人[#ルビ抜けはママ]で畫板《ゑばん》を携《たづさ》へ野山《のやま》を寫生《しやせい》して歩《ある》いたことも幾度《いくど》か知《し》れない。
 間《ま》もなく自分《じぶん》も志村《しむら》も中學校《ちゆうがくかう》に入《い》ることゝなり、故郷《こきやう》の村落《そんらく》を離《はな》れて、縣《けん》の中央《ちゆうわう》なる某町《ぼうまち》に寄留《きりう》することゝなつた。中學《ちゆうがく》に入《い》つても二人[#ルビ抜けはママ]は畫《ゑ》を書《か》くことを何《なに》よりの樂《たのしみ》にして、以前《いぜん》と同《おな》じく相伴《あひともな》ふて寫生《しやせい》に出掛《でか》けて居《ゐ》た。
 此《この》某町《ぼうまち》から我村落《わがそんらく》まで七|里《り》、若《も》し車道《しやだう》をゆけば十三|里《り》の大迂廻《おほまはり》になるので我々《われ/\》は中學校《ちゆうがくかう》の寄宿舍《きしゆくしや》から村落《そんらく》に歸《かへ》る時《とき》、決《けつ》して車《くるま》に乘《の》らず、夏《なつ》と冬《ふゆ》の定期休業《ていききうげふ》毎《ごと》に必《かなら》ず、此《この》七|里《り》の途《みち》を草鞋《わらぢ》がけで歩《ある》いたものである。
 七|里《り》の途《みち》はたゞ山《やま》ばかり、坂《さか》あり、谷《たに》あり、溪流《けいりう》あり、淵《ふち》あり、瀧《たき》あり、村落《そんらく》あり、兒童《じどう》あり、林《はやし》あり、森《もり》あり、寄宿舍《きしゆくしや》の門《もん》を朝早《あさはや》く出《で》て日《ひ》の暮《くれ》に家《うち》に着《つ》くまでの間《あひだ》、自分《じぶん》は此等《これら》の形《かたち》、色《いろ》、光《ひかり》、趣《おもむ》きを如何《どう》いふ風《ふう》に畫《か》いたら、自分《じぶん》の心《こゝろ》を夢《ゆめ》のやうに鎖《と》ざして居《ゐ》る謎《なぞ》を解《と》くことが出來《でき》るかと、それのみに心《こゝろ》を奪《と》られて歩《ある》いた。志村《しむら》も同《おな》じ心《こゝろ》、後《あと》になり先《さき》になり、二人《ふたり》で歩《ある》いて居《ゐ》ると、時々《とき/″\》は路傍《ろばう》に腰《こし》を下《お》ろして鉛筆《えんぴつ》の寫生《しやせい》を試《こゝろ》み、彼《かれ》が起《た》たずば我《われ》も起《た》たず、我《われ》筆《ふで》をやめずんば彼《かれ》も止《や》めないと云《い》ふ風《ふう》で、思《おも》はず時《とき》が經《た》ち、驚《おど》ろいて二人《ふたり》とも、次《つぎ》の一|里《り》を駈足《かけあし》で飛《と》んだこともあつた。
 爾來《じらい》數年《すねん》、志村《しむら》は故《ゆゑ》ありて中學校《ちゆうがくかう》を退《しりぞ》いて村落《そんらく》に歸《かへ》り、自分《じぶん》は國《くに》を去《さ》つて東京《とうきやう》に遊學《いうがく》することゝなり、いつしか二人《ふたり》の間《あひだ》には音信《おんしん》もなくなつて、忽《たちま》ち又四五年[#ルビ抜けはママ]|經《た》つてしまつた。東京《とうきやう》に出《で》てから、自分《じぶん》は畫《ゑ》を思《おも》ひつゝも畫《ゑ》を自《みづか》ら書《か》かなくなり、たゞ都會《とくわい》の大家《たいか》の名作《めいさく》を見《み》て、僅《わづか》に自分《じぶん》の畫心《ゑごころ》を滿足《まんぞく》さして居《ゐ》たのである。
 處《ところ》が自分《じぶん》の二十の時《とき》であつた、久《ひさ》しぶりで故郷《こきやう》の村落《そんらく》に歸《かへ》つた。宅《たく》の物置《ものおき》に曾《かつ》て自分《じぶん》が持《もち》あるいた畫板《ゑばん》
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