ゞ山《やま》ばかり、坂《さか》あり、谷《たに》あり、溪流《けいりう》あり、淵《ふち》あり、瀧《たき》あり、村落《そんらく》あり、兒童《じどう》あり、林《はやし》あり、森《もり》あり、寄宿舍《きしゆくしや》の門《もん》を朝早《あさはや》く出《で》て日《ひ》の暮《くれ》に家《うち》に着《つ》くまでの間《あひだ》、自分《じぶん》は此等《これら》の形《かたち》、色《いろ》、光《ひかり》、趣《おもむ》きを如何《どう》いふ風《ふう》に畫《か》いたら、自分《じぶん》の心《こゝろ》を夢《ゆめ》のやうに鎖《と》ざして居《ゐ》る謎《なぞ》を解《と》くことが出來《でき》るかと、それのみに心《こゝろ》を奪《と》られて歩《ある》いた。志村《しむら》も同《おな》じ心《こゝろ》、後《あと》になり先《さき》になり、二人《ふたり》で歩《ある》いて居《ゐ》ると、時々《とき/″\》は路傍《ろばう》に腰《こし》を下《お》ろして鉛筆《えんぴつ》の寫生《しやせい》を試《こゝろ》み、彼《かれ》が起《た》たずば我《われ》も起《た》たず、我《われ》筆《ふで》をやめずんば彼《かれ》も止《や》めないと云《い》ふ風《ふう》で、思《おも》はず時《とき》が經《た》ち、驚《おど》ろいて二人《ふたり》とも、次《つぎ》の一|里《り》を駈足《かけあし》で飛《と》んだこともあつた。
爾來《じらい》數年《すねん》、志村《しむら》は故《ゆゑ》ありて中學校《ちゆうがくかう》を退《しりぞ》いて村落《そんらく》に歸《かへ》り、自分《じぶん》は國《くに》を去《さ》つて東京《とうきやう》に遊學《いうがく》することゝなり、いつしか二人《ふたり》の間《あひだ》には音信《おんしん》もなくなつて、忽《たちま》ち又四五年[#ルビ抜けはママ]|經《た》つてしまつた。東京《とうきやう》に出《で》てから、自分《じぶん》は畫《ゑ》を思《おも》ひつゝも畫《ゑ》を自《みづか》ら書《か》かなくなり、たゞ都會《とくわい》の大家《たいか》の名作《めいさく》を見《み》て、僅《わづか》に自分《じぶん》の畫心《ゑごころ》を滿足《まんぞく》さして居《ゐ》たのである。
處《ところ》が自分《じぶん》の二十の時《とき》であつた、久《ひさ》しぶりで故郷《こきやう》の村落《そんらく》に歸《かへ》つた。宅《たく》の物置《ものおき》に曾《かつ》て自分《じぶん》が持《もち》あるいた畫板《ゑばん》
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