なみきぜんべえ》という老人のみが次のごとくに言った。
『豊吉が何をしでかすものぞ、五年十年のうちにはきっと蒼《あお》くなって帰って来るから見ていろ。』
『なぜ?』その席にいた豊吉の友が問うた。
 老人は例の雪のような髭髯《ひげ》をひねくりながらさみしそうに悲しそうに、意地のわるそうに笑ったばかりで何とも答えなかった。
 そこで少しばかりこの老人の事を話して置くが、「杉の杜《もり》のひげ」と言われてその名が通っているだけ、岩――のものでそのころこの奇体な老人を知らぬ者はないほどであった。
 髭髯《ひげ》が雪のように白いところからそのあだ名を得たとはいうものの小さなきたならしい老人で、そのころ七十いくつとかでもすこぶる強壮なこつ[#「こつ」に傍点]こつした体格《からだ》であった。
 この老人がその小さな丸い目を杉の杜《もり》の薄暗い陰でビカビカ輝《ひか》らせて、黙って立っているのを見るとだれも薄気味の悪い老翁《じいさん》だと思う、それが老翁《じいさん》ばかりでなく「杉の杜」というのが、岩――の士族屋敷ではこの「ひげ」の生まれない前のもっと前からすでに気味の悪いところになっているので幾百年か
前へ 次へ
全20ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国木田 独歩 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング