葉に従い、一年間更に勉強して、さて弁護士の試験を受けました処《ところ》、意外の上首尾、養父も大よろこびで早速其友なる井上博士の法律事務所に周旋《しゅうせん》して呉《く》れました。
 兎《と》も角《かく》も一人前《いちにんまえ》の弁護士となって日々|京橋区《きょうばしく》なる事務所に通うて居《い》ましたが、若《も》し彼《あ》のまゝで今日になったら、養父も其目的通りに僕を始末し、僕も平穏な月日を送って益々《ますます》前途の幸福を楽《たのし》んで居たでしょう。
 けれども、僕は如何《どう》しても悪運の児《こ》であったのです。殆《ほとん》ど何人《なんびと》も想像することの出来ない陥穽《おとしあな》が僕の前に出来て居て、悪運の鬼は惨刻《ざんこく》にも僕を突き落しました。

      五

 井上博士は横浜にも一ヶ所事務所を持《もっ》て居ましたが、僕は二十五の春、此《この》事務所に詰めることとなり、名は井上の部下であっても其《その》実は僕が独立でやるのと同じことでした。年齢《とし》の割合には早い立身と云《い》っても可《よ》いだろうと思います。
 処《ところ》が横浜に高橋という雑貨商があって、随分盛大にやって居ましたが、其|主人《あるじ》は女で名は梅《うめ》、所天《つれあい》[#「所天」は底本では「所夫」]は二三年前に亡《なく》なって一人娘《ひとりむすめ》の里子《さとこ》というを相手に、先《ま》ず贅沢《ぜいたく》な暮《くらし》を仕《し》て居たのです。
 訴訟用から僕は此家に出入することとなり、僕と里子は恋仲になりました、手短に言いますが、半年|経《たた》ぬうちに二人《ふたり》は離れることの出来ないほど、逆《のぼ》せ上げたのです。
 そして其《その》結果は井上博士が媒酌《ばいしゃく》となり、遂《つい》に僕は大塚の家を隠居し高橋の養子となりました。
 僕の口から言うも変ですが、里子は美人というほどでなくとも随分人目を引く程の容色《きりょう》で、丸顔の愛嬌《あいきょう》のある女です。そして遠慮なくいいますが全く僕を愛して呉《く》れます、けれども此《この》愛は却《かえ》って今では僕を苦しめる一大要素になって居るので、若《も》し里子が斯《か》くまでに僕を愛し、僕が又た斯《こ》うまで里子を愛しないならば、僕はこれほどまでに苦しみは仕ないのです。
 養母の梅は今五十歳ですが、見た処《ところ》、四十位にしか見えず、小柄の女で美人の相を供《そな》え、なか/\立派な婦人です。そして情の烈《はげ》しい正直な人柄といえば、智慧《ちえ》の方はやゝ薄いということは直《す》ぐ解《わか》るでしょう。快活で能《よ》く笑い能《よ》く語りますが、如何《どう》かすると恐しい程沈欝な顔をして、半日|何人《なんびと》とも口を交《まじ》えないことがあります。僕は養子とならぬ以前から此《この》人柄に気をつけて居《い》ましたが、里子と結婚して高橋の家《うち》に寝起することとなりて間もなく、妙なことを発見したのです。
 それは夜の九時頃になると、養母は其《その》居間に籠《こも》って了《しま》い、不動明王を一心不乱に拝むことで、口に何ごとか念じつゝ床の間にかけた火炎の像の前に礼拝して十時となり十一時となり、時には夜半過《よなかすぎ》に及ぶのです、居間の中《うち》、沈欝《ふさ》いで居た晩は殊《こと》にこれが激しいようでした。
 僕も始めは黙って居ましたが、余り妙なので或日《あるひ》このことを里子に訊《たず》ねると、里子は手を振って声を潜《ひそ》め、『黙って居らっしゃいよ。あれは二年前から初めたので、あのことを母に話すと母は大変|気嫌《きげん》を悪くしますから、成るべく知らん顔して居たほうが可《い》いんですよ。御覧なさい全然《まるで》狂気《きちがい》でしょう。』と別に気にもかけぬ様なので、僕も強《しい》ては問いもしなかったのです。
 けれども其《その》後《ご》一月もして或日《あるひ》、僕は事務所から帰り、夜食を終て雑談して居《い》ると、養母は突然、
『怨霊《おんりょう》というものは何年|経《たっ》ても消えないものだろうか。』と問いました。すると里子は平気で、
『怨霊なんて有るもんじゃアないわ。』と一言で打消そうとすると、母は向《むき》になって、
『生意気を言いなさんな。お前見たことはあるまい。だからそんなことを言うのだ。』
『そんなら母上《おっかさん》は見て?』
『見ましたとも。』
『オヤそう、如何《どん》な顔をして居て? 私も見たいものだ。』と里子は何処《どこ》までも冷かしてかゝった。すると母は凄《すご》いほど顔色を変えて、
『お前|怨霊《おんりょう》が見たいの、怨霊が見たいの。真実《ほんと》に生意気なこというよ此《この》人《ひと》は!』と言い放ち、つッと起《たっ》て自分の部屋に引込《ひっこ》んで了《しま》った。僕は思わず、
『母上《おっかさん》如何《どう》か仕て居なさるよ、気を附けんと……』
 里子は不安心な顔をして、
『私|真実《ほんと》に気味が悪いわ。母上《おっかさん》は必定《きっと》何にか妙なことを思って居るのですよ。』
『ちっと神経を痛めて居なさるようだね。』と僕も言いましたが、さて翌日になると別に変ったことはないのです。変って居るのは唯々《ただ》何時《いつ》もの通り夜になると不動様を拝むことだけで、僕等《ぼくら》もこれは最早《もはや》見慣れて居るから強《しい》て気にもかゝりませんでした。
 処《ところ》が今歳《ことし》の五月です、僕は何時《いつも》よりか二時間も早く事務所を退《ひい》て家へ帰りますと、其《その》日《ひ》は曇って居たので家の中は薄暗い中《うち》にも母の室《へや》は殊《こと》に暗いのです。母に少し用事があったので別に案内もせず襖《ふすま》を開《あ》けて中に入ると母は火鉢《ひばち》の傍《そば》にぽつねんと座って居《い》ましたが、僕の顔を見るや、
『ア、ア、アッ、アッ!』と叫んで突起《つったっ》たかと思うと、又|尻餅《しりもち》を舂《つい》て熟《じっ》と僕を見た時の顔色! 僕は母が気絶したのかと喫驚《びっくり》して傍《そば》に駈寄《かけよ》りました。
『如何《どう》しました、如何しました』と叫《さ》けんだ僕の声を聞いて母は僅《わずか》に座り直し、
『お前だったか、私は、私は……』と胸を撫《さ》すって居ましたが、其《その》間《あいだ》も不思議そうに僕の顔を見て居たのです。僕は驚ろいて、
『母上《おっかさん》如何《どう》なさいました。』と聞くと、
『お前が出抜《だしぬけ》に入って来たので、私は誰《だれ》かと思った。おゝ喫驚《びっくり》した。』と直《す》ぐ床を敷《しか》して休んで了《しま》いました。
 此《この》事《こと》の有った後は母の神経に益々《ますます》異常を起し、不動明王を拝むばかりでなく、僕などは名も知らぬ神符《おふだ》を幾枚となく何処《どこ》からか貰《もら》って来て、自分の居間の所々《しょしょ》に貼《はり》つけたものです。そして更に妙なのは、これまで自分だけで勝手に信じて居たのが、僕を見て驚ろいた後は、僕に向っても不動を信じろというので、僕が何故《なぜ》信じなければならぬかと聞くと、
『たゞ黙って信じてお呉《く》れ。それでないと私が心細い。』
『母上《おっかさん》の気が安まるのなら信仰も仕ましょうが、それなら私よりもお里の方が可《い》いでしょう。』
『お里では不可《いけま》せん。彼《あれ》には関係のないことだから。』
『それでは私には関係があるのですか。』
『まアそんなことを言わないで信仰してお呉れ、後生だから。』という母の言葉を里子も傍《そば》で聞て居ましたが、呆《あき》れて、
『妙ねえ母上《おっかさん》、不動様が如何《どう》して母上《おっかさん》と信造さんとには関係があって私には無いのでしょう。』
『だから私が頼むのじゃアありませんか、理由《わけ》が言われる位なら頼《たのみ》はしません。』
『だって無理だわ、信造さんに不動様を信仰しろなんて、今時の人にそんなことを勧《すすめ》たって……』
『そんなら頼みません!』と母は怒って了《しま》ったので、僕は言葉を柔げ、
『イヤ私だって不動様を信じないとは限りません。だから母上《おっかさん》まア其《その》理由《いわれ》を話て下さいな。如何《どん》なことか知りませんが、親子の間だから少《すこし》も明《あか》されないようなことは無いでしょう。』と求めました。これは母の言う処《ところ》に由《よっ》て迷信を圧《おさ》え神経を静める方法もあろうかと思ったからです。すると母は暫《しばら》く考えて居《い》ましたが、吐息《といき》をして声を潜《ひそ》め、
『これ限《ぎ》りの話だよ、誰《たれ》にも知《しら》してはなりませんよ。私が未《ま》だ若い時分、お里の父上《おとうさま》に縁《えんづ》かない前に或《ある》男に言い寄られて執着《しゅうねく》追い廻《まわ》されたのだよ。けれども私は如何《どう》しても其男の心に従わなかったの。そうすると其男が病気になって死ぬ間際に大変私を怨《うら》んで色々なことを言ったそうです。それで私も可《い》い心持《こころもち》は仕《し》なかったが、此処《ここ》へ縁づいてからは別に気にもせんで暮して居ました。ところが所天《つれあい》[#「所天」は底本では「所夫」]が死《な》くなってからというものは、其《その》男の怨霊《おんりょう》が如何《どう》かすると現われて、可怖《こわ》い顔をして私を睨《にら》み、今にも私を取殺《とりころ》そうとするのです。それで私が不動様を一心に念ずると其怨霊がだん/\消《きえ》て無《なく》なります。それにね、』と、母は一増《ひとしお》声を潜め『この頃《ごろ》は其怨霊が信造に取ついたらしいよ。』
『まア嫌《いや》な!』里子は眉《まゆ》を顰《ひそ》めました。
『だってね、如何《どう》かすると信造の顔が私には怨霊そっくりに見えるのよ。』
 それで僕に不動様を信じろと勧めるのです。けれども僕にはそんな真似《まね》は出来ないから、里子と共に色々と怨霊などいうものの有るべきでないことを説いたけれど無益でした。母は堅く信じて疑がわないので、僕等も持余《もてあま》し、此《こ》の鎌倉へでも来て居て精神を静めたらと、無理に勧めて遂《つい》に此処《ここ》の別荘に入《いれ》たのは今年の五月のことです。」

      六

 高橋信造は此処《ここ》まで話して来て忽《たちま》ち頭《かしら》をあげ、西に傾く日影を愁然《しゅうぜん》と見送って苦悩に堪《た》えぬ様であったが、手早く杯《さかずき》をあげて一杯飲み干し、
「この先を詳しく話す勇気は僕にありません。事実を露骨に手短に話しますから、其《それ》以上は貴様《あなた》の推察を願うだけです。
 高橋梅《たかはしうめ》、則《すなわ》ち僕の養母は僕の真実の母、生《うみ》の母であったのです。妻《さい》の里子《さとこ》は父を異《ことに》した僕の妹であったのです。如何《どう》です、これが奇《あや》しい運命でなくて何としましょう。斯《かく》の如《ごと》きをも源因結果の理法といえばそれまでです。けれども、かゝる理法の下に知らず/\此《この》身《み》を置《おか》れた僕から言えば、此天地間にかゝる惨刻《ざんこく》なる理法すら行なわるゝを恨みます。
 先《ま》ず如何《どう》して此等《これら》の事実が僕に知れたか、其《その》手続を簡単に言えば、母が鎌倉に来てから一月後《ひとつきのち》、僕は訴訟用で長崎にゆくこととなり、其途中山口、広島などへ立寄る心組で居《い》ましたから、見舞かた/″\鎌倉へ来て母に此《この》事を話しますと、母は眼《め》の色を変《かえ》て、山口などへ寄るなと言います。けれども僕の心には生《うみ》の父母の墓に参る積《つもり》がありますから、母には可《よ》い加減に言って置いて、遂《つい》に山口に寄ったのです。
 兼《かね》て大塚の父から聞いて居たから寺は直《す》ぐ分りました。けれども僕は馬場金之助《ばばきんのすけ》の墓のみ見出して、死《しん》だと聞《きい》た母の墓を見ないの
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