もなかったので僕に続いて部屋に入ったのです。僕は母の前に座るや、
『貴女《あなた》は私を離婚すると里子に言ったそうですが、其《その》理由《わけ》を聞きましょう。離婚するなら仕ても私は平気です。或《あるい》は寧《むし》ろ私の望む処《ところ》で御座います。けれども理由《わけ》を被仰《おっしゃ》い、是非|其《そ》の理由を聞きましょう。』と酔《よい》に任《まか》せて詰寄《つめよ》りました。すると母は僕の剣幕の余り鋭いので喫驚《びっくり》して僕の顔を見て居《い》るばかり、一言も発しません。
『サア理由《わけ》を聞きましょう。怨霊《おんりょう》が私に乗移って居るから気味が悪いというのでしょう。それは気味が悪いでしょうよ。私は怨霊の児《こ》ですもの。』と言い放《はな》ちました、見る/\母の顔色は変り、物をも言わず部屋《へや》の外へ駈《か》け出て了《しま》いました。
 僕は其まゝ母の居間に寝て了ったのです。眼《め》が覚《さ》めるや酒の酔も醒《さ》め、頭の上には里子が心配そうに僕の顔を見て坐《すわっ》て居ました。母は直《す》ぐ鎌倉に引返したのでした。
 其《その》後《ご》僕と母とは会わないのです。僕は母に交《かわ》って此方《こちら》に来て、母は今、横浜の宅に居ますが、里子は両方を交《かわ》る/″\介抱して、二人《ふたり》の不幸をば一人《ひとり》で正直に解釈し、たゞ/\怨霊《おんりょう》の業《わざ》とのみ信じて、二人の胸の中《うち》の真《まこと》の苦悩《くるしみ》を全然《まるきり》知らないのです。
 僕は酒を飲むことを里子からも医師からも禁じられて居ます。けれども如何《どう》でしょう。此《こ》のような目に遇《あ》って居る僕がブランデイの隠飲《かくしの》みをやるのは、果《はたし》て無理でしょうか。
 今や僕の力は全く悪運の鬼に挫《ひし》がれて了いました。自殺の力もなく、自滅を待つほどの意久地《いくじ》のないものと成り果《はて》て居るのです。
 如何《どう》でしょう、以上ザッと話しました僕の今日までの生涯の経過を考がえて見て、僕の心持になって貰《もら》いたいものです。これが唯《た》だ源因結果の理法に過《すぎ》ないと数学の式に対するような冷かな心持で居《い》られるものでしょうか。生《うみ》の母は父の仇《あだ》です、最愛の妻は兄妹《きょうだい》です。これが冷かなる事実です。そして僕の運命です。
 若《も》し此《この》運命から僕を救い得る人があるなら、僕は謹《つつ》しんで教《おしえ》を奉じます。其《その》人は僕の救主《すくいぬし》です。」

      七

 自分は一言を交えないで以上の物語を聞いた。聞き終って暫《しばら》くは一言も発し得なかった。成程悲惨なる境遇に陥った人であるとツク/″\気の毒に思ったのである。けれども止《や》むなくんばと、
「断然離婚なさったら如何《どう》です。」
「それは新らしき事実を作るばかりです。既に在る事実は其|為《た》めに消えません。」
「けれども其《それ》は止《やむ》を得ないでしょう。」
「だから運命です。離婚した処《ところ》で生《うみ》の母が父の仇《あだ》である事実は消《きえ》ません。離婚した処《ところ》で妹を妻として愛する僕の愛は変りません。人の力を以《もっ》て過去の事実を消すことの出来ない限り、人は到底運命の力より脱《のが》るゝことは出来ないでしょう。」
 自分は握手して、黙礼して、此《この》不幸なる青年紳士と別れた、日は既に落ちて余光華かに夕《ゆうべ》の雲を染め、顧れば我運命論者は淋《さび》しき砂山の頂に立って沖を遙《はるか》に眺《ながめ》て居た。
 其《その》後自分は此男に遇《あわ》ないのである。



底本:「日本の文学6 武蔵野・春の鳥」ほるぷ出版
   1985(昭和60)年8月1日初版第1刷発行
底本の親本:「運命」左久良書房
   1906(明治39)年3月18日発行
      「國木田獨歩全集 第三卷」学習研究社
   1964(昭和39)年10月30日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※疑問点の確認にあたっては、「國木田獨歩全集 第三卷」1964(昭和39)年10月30日発行を参照しました。
入力:Mt.fuji
校正:福地博文
1999年5月13日公開
2004年6月28日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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