深沢にもその事を話し、届きたる袷に着替え、伯父よりの添書を持て下谷西町のその人を尋ねたり。黒塀に囲いて庭も広く、門より十五六歩して玄関なり。案内を乞うて来意を通ずれば、「珍しき人よりの手紙かな、こちらへと言え」と書生に命ずる主公《しゅこう》の声聞えたり。頓て書生にいざなわれて応接所へ通りしが、しばらくしてまたこちらへとて奥まりたる座敷にいざなわれたり。雅潔なる座敷の飾りに居心落付かず、見じと思えど四方の見らるるに、葛布にて張りたる襖しとやかに明きて清げなる小女茶を運び出でたり。忝けなしと斜に敷きたる座蒲団よりすべりてその茶碗を取らんとするとき、女はオオと驚くに予も心付きてヤヤと愕きたり。「蘭の鉢を庭へ出せよ」と物柔らかに命じながら主公出で来られぬ。座を下りて平伏すれば、「イヤ御遠慮あるな伯父ごとは莫逆《ばくぎゃく》の友なり、足下《そっか》の事は書中にて承知致したり、心置きなくまず我方に居られよ」と快濶《かいかつ》なる詞有難く、「何分宜しく願い申す」と頭をあげて主公の顔を見て予は驚きたり。主公もまた我面を屹度《きっと》見られたり。
先に茶を運びし小女は、予が先夜吾妻橋にて死をとどめたる女なりし。主公は予をまた車夫に命じて抱き止めさせし人なりし。小女は浅草清島町という所の細民《さいみん》の娘なり。形は小さなれど年は十五にて怜悧《れいり》なり。かの事ありしのち、この家へ小間使《こまづかい》というものに来りしとなり。貧苦心配の間に成長したれど悪びれたる所なく、内気なれど情心あり。主公は朋友の懇親会に幹事となりてかの夜、木母寺の植半にて夜を更して帰途なりしとなり。その事を言い出て大いに笑われたり。予は面目なく覚えたり。小女を見知りし事は主公も知らねば、人口を憚《はば》かりてともに知らぬ顔にて居たり。
予はこれまでにて筆を措《お》くべし。これよりして悦び悲しみ大憂愁大歓喜の事は老後を待ちて記すべし。これよりは予一人の関係にあらず。お梅(かの女の名にして今は予が敬愛の妻なり)の苦心、折々|撓《たわ》まんとする予が心を勤め励《はげ》まして今日あるにいたらせたる功績をも叙せざるべからず。愛情のこまやかなるを記さんとしては、思わず人の嘲笑を招くこともあるべければ、それらの情冷かになりそれらの譏《そしり》遠くなりての後にまた筆を執《と》ることを楽むべし。
底本:「新潟県文学全集 第1巻 明治編」郷土出版社
1995(平成7)年10月26日発行
底本の親本:「明治文学全集26」筑摩書房
1981(昭和56)年4月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:高田農業高校生産技術科流通経済コース
校正:小林繁雄
2006年7月28日作成
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