の未定稿としては「皇元聖武親征録」の註がある。是は漢文で書かれたもので、兩三年前已に淨書し終つたが、其後多少改訂すべき點を發見されたとかで、其儘になつて居る。是等の書が先生の手によつて、十分校訂されて出版せられたならば、學界を裨益すること、決して『成吉思汗《ジンギスカン》實録』に劣らぬであらうに、返す返すも殘念なことである。
 先生に就て尤も敬服すべき點は、其の研究の態度の根本的《オリジナル》であることである。前人の糟粕を嘗めて、其の足らざる所を拾綴して行くといふことは、先生の餘り屑とせられぬ所で、成るべく前人未發のことを闡明して行きたいとは、先生の始終の心掛けであつた。東洋史の内でも、特に蒙古史の研究に心神を傾注せられたのも、或はこの理由からかも知れぬ。一體わが國の學者の多數は、西洋人の所説を其の儘取り次ぐか、若くは多少之を敷衍するか、然らずとも彼等の暗示《ヒント》によりて研究の題目を得るといふに過ぎぬ。先生は決して左樣でない。眞に獨立濶歩の概がある。一度研究の緒を得ると驚くべき氣根と、勉強とを以て幽を闡き微を發かねば止まぬのである。先生は外國文を綴ることは不得手であつた故か、其研究
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