の結果を汎く世界に發表せられぬから、歐洲の學者間には名を知られなかつたが、若公平に批評したならば、先生は世界現今の東洋史界に於て、少くもドイツのヒルト氏(Hirth)や、フランスのシャヴァンヌ氏(Chavannes)と、同等以上の位置を占むべき實力があつたと吾輩は確信して居る。
清朝の學者のうちでは、顧炎武や錢大※[#「日+斤」、第3水準1−85−14]を重じて居られた。顧炎武の『日知録』や、錢大※[#「日+斤」、第3水準1−85−14]の『養新録』は、時々漢文の教科書代りに採用された。陳※[#「さんずい+豊」、第3水準1−87−20]の『東塾讀書記』も隨分使用された。最近では教科書代りとして、崔述の『考信録』を盛に使用せられた。
この『考信録』に就いては世間に隨分反對論者が多い。吾輩も決して崔述の謳歌者ではない。現に其の一部の説に就いては先年史學會の講演で反駁の意見を發表した位である。併し虚心平氣にて論ずると、崔述は支那の學者に稀有な明晰なる頭腦をもつて居る。『考信録』は完全無缺とはいへぬけれど、之を馬繍の『繹史』や、李※[#「金+皆」、第4水準2−91−14]の『尚史』や、さて
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