手輕に解答の出來る問題ではありませぬ。東洋人の發明で、世界の文化に影響したものがあることは事實でありますが、西洋の發明と比較して、何方がより多く世界の文化に貢獻したかと云ふことは、六ヶ敷い問題で、到底一朝一夕に解決し難い。私は唯東洋人の發明の中で、世界の文化に幾分貢獻したと思はれるもの二三を、極く簡單に紹介したいと思ふ。
 東洋人の發明と云ひますが、東洋と云ふ言葉が餘程曖昧な言葉であつて、内容がはつきりしませぬ。私が茲に申す東洋とは、極めて狹い意味に解して、東亞若くは極東と云ふのと同じ意味で、主として支那人を指すことと御承知を願ひます。
 東洋人の發明と云ふ中で、第一に注意すべきは印刷のことであります。支那の印刷術は何時出來たかと云ふと、いろいろの議論がありまして、今日でも學説が一定して居る譯でもありませぬ。併しながら普通では隋の時分に出來た、少くとも隋の開皇十三年(西暦五九三)に出來たことになつて居ります。無論之には異議を申立てる學者もあります、私なども之に絶對的信用を置くことは躊躇いたすのでありますが、其次の唐の時代になると、最早印刷術が發明されて居つたことは疑のない事實であつて、當時の記録にも明瞭にその事實が記載されて居るし、又近年新疆や敦煌方面から出て來た佛典のうちに、確に唐時代の刊本と認定されるものもあります。我が日本の稱徳天皇の御代(西暦七六四―七七〇)に作られた、例の百萬塔の中に納められた陀羅尼《ダラニ》の印本も、時代は丁度唐の中頃に當り、西暦八世紀の半頃のものであります。日本の稱徳天皇の御代の印刷は、日本で發明したものか、唐から傳へたものかといふ事については、いろいろ議論がありますが、日本の印刷の歴史のことを餘程調べて居つた、もとの英國の公使のサトウといふ人が、日本の印刷はどうしても支那から傳へたものだと申したことがある樣に記憶しますが、私も同樣な考をもつて居ります。そは兎も角も。この陀羅尼の印刷といふものが、今日世界に現存して居る印刷物の中で、最も古くて尤も年代の確なものであることは、爭ふべからざる事實であります。さきに申した通り、近年支那の新疆や甘肅方面から、古い印刷物も發見されるが、遺憾な事には年代がはつきり明記されてをらぬから、又たまに明記されて居つても年代が下るから、我が國の百萬塔中の陀羅尼に比較すると、價値が減ずる譯であります。
 右に申
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