フ天文と、印度系の天文と、支那傳統の天文とが、三つ巴となつて優劣を爭うた。この最中に支那に一行といふ偉大な天文學者が出て、開元九年(西暦七二一)から十五年(西暦七二七)までかかつて、最も完全なる大衍暦を作製した。一行は開元十五年に年僅か四十五歳で死んだが、彼の死後に種々の實驗によつて、大衍暦が最も優秀であることが立證されて、開元十六年から唐の朝廷に採用され、やがて又我が國にも採用されたのである。
この大衍暦の實質については、西洋の天文學者が隨分早くから研究して居り、また我が國の天文學者も相當深く研究して居る。私の友人のさる天文學者の研究によると、この大衍暦は頗る優秀なもので、今日現行の太陽暦に比して、餘り遜色がないといふことである。私の友人から傳へ聞いた所によつて、大衍暦と現行の太陽暦を對比すると、次の如く接近して居る。
[#ここから2字下げ、横組み、図表]
大衍暦 太陽暦
太陽年 365日 2444 365日 2422
太陰月 29日 53059 29日 530588
[#ここで字下げ終わり]
即ち一年の長さの測量といひ、一月の長さの測量といひ
前へ
次へ
全42ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
桑原 隲蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング