しか出掛けて居らぬ、此等の事情にも拘らず、唐の新しい制度や文物や宗教學問などを、或は六年或は八年或は十三年の後に直に我が國に輸入する。此の如きことは他國人には容易に企て及ばぬことである、試みに朝鮮人の場合と對比すればこの點がよく判然すると思ふ。
唐時代の朝鮮は丁度新羅の時代に當るが、この新羅は日本と比較すると、支那との交通は餘程便利であつた。第一陸續きでもあり、大抵一年置きか二年置き位に、「遣唐」使を唐の朝廷へ送つてゐる。それにも拘らず彼等は新しい文化新しい知識を攝取する點に於て、日本とはまるで比較にならぬほど緩怠であつた。例へばさきの法相宗である。法相宗の支那に傳來したのは、新羅統一以前ではあるが、その時新羅の圓測といふ僧侶が長安に留學して居つて、我が道昭と前後して、玄奘三藏からこの新宗教の奧義を聽聞しながら、之をその本國に輸入して居らぬ。法相宗の新羅に傳つた時代は、正確には申されぬが、日本より餘程後くれ、約百年位も後であらうと思ふ。孝經も早く朝鮮に傳はつて居つたのであるが、唐の開元時代の如き、天下家毎に一本を備へるといふ制度は、遂に朝鮮で施行されて居らぬ。また當時新羅の暦は甚だ不
前へ
次へ
全42ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
桑原 隲蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング