幾千人のアラビア商人が滯在してをつた。自然アラビア商人は支那で日本人と觸接する機會も尠くなく、また日本國に關する知識を得る譯である。
當時のアラビア商人即ちマホメット教徒は、我が國の名をワクワク(〔Wa^kwa^k〕)と傳へて居る。ワクワクとは申す迄もなく倭國の音譯である。支那人は古く我が國を倭國と呼んだ。唐時代の支那人も同樣に我が國を倭國と呼んだ。唐時代には日本といふ國號も既に出來ては居るが、この日本といふ國號は、日本人自身の付けたもので、唐時代の支那人は餘り使用せぬ。唐時代の支那人は依然我が國を倭國と稱した。直接我が國へ通交せず、支那で日本人と接觸の機會があつたにしても、一般の場合では支那人を通じて我が國號を知つた所のアラビア商人等は、支那人同樣に、我が國を倭國と呼んだことに何等の不思議もない。唐時代の支那人は倭國をワクウオク(Wa−kwok)と稱した筈であるから、そのワクウオクを聞き傳へたアラビア商人達が、ワクワク(〔Wa^kwa^k〕)と訛つたものであらう。
このワクワクすなはち倭國といふ我が國號が、始めてアラビアの記録に現はれたのは、西暦九世紀の半頃丁度八五〇年の頃即ち唐
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