{教授文學博士宇野哲人君――と同伴で、洛關の遊歴を試みることになり、歳の九月三日に北京を出發し、長驛短亭の間に半個月を過ごし、月の十九日に西安に入り、越えて七日、九月の二十六日に、金勝寺に出掛けて景教碑を實檢した。
金勝寺は西安の西郭外約三支那里の處にある。寺は同治年間のマホメット教徒の亂に、兵燹に罹つて、今は實に荒廢を極めて居る。併し境内は流石に廣く、南北二町半、東西一町半の間、頽墻斷續といふ有樣で、幾分往昔の面影を偲ばしめる。今の佛殿は兵燹後の再建で、見る影もないが、その後庭には、もと本殿の在つた所と見え、廢磚殘甓累々たる間に、明の萬暦十二年(西暦一五八四)に建てた、精巧な一架の石坊が遺つて、祇園眞境と題してある。その前面に明の成化・嘉靖頃の碑石三四方、何れも寺の由來を誌したものがある。石坊の後すなはち北方約半町ばかりに、隴畝の間に五方の石碑が並立して居るが、東より第二番目がいはゆる景教碑である。その他は大抵乾隆以後の建立で、やはり寺の由來を誌したものが多い。景教碑には碑亭がない。自然人爲の迫害に對して、全然無坊禦である。この碑を世界無二の至寶と尊重しゐる歐米人が、かかる現状を見
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