S)、經典と碑文とよく一致することは、この碑の眞物たることを、保證すべき鐵案と申さねばならぬ。
かくて西暦十七世紀の半頃から十八世紀を經て、十九世紀の半過ぎまで、約二百餘年の間に亙つた、景教碑に關する疑惑の暗雲が次第に晴れて、最近五六十年來、かかる懷疑的學者が殆ど跡を絶つた。これと共に、景教碑の保護保存といふ問題が、次第に擡頭して來た。已に西暦千八百五十二年に、米國のサリスブリ(Salisbury)教授は、「西安のネストル教碑の眞僞について」と題する一論文を公にして、その中に、景教碑が明末清初の際に、キリスト教の宣教師によつて歐洲に紹介されて以來、今日まで二百年の間、一人も親しくこの碑を覩た人がない。從つてこの碑は目下如何なる状態にあるかは勿論不明で、碑が果して今日に現存するや否やすら不確である。今日の急務は、中立公平の人を派して、親しく西安に往きて、この碑の存否と眞贋とを檢査せしむるに在る。このことの實行される迄は、景教碑の眞贋に關する絶對的斷案は下し難いと述べて居る(35)。
サリスブリ教授の主張は、アメリカ東洋協會の容るる所となつた。千八百五十二年十月に、同協會は次の如き決議
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