i教碑の僞作を主張した者もないでない。陶保廉の『辛卯侍行記』に載せられた、錢潤道の如きも、その一人で、
此碑宋人金石書未[#二]著録[#一]。……似[#三]明人僞撰、託爲[#二]明時出[#一レ]土。
というて居る。また『皇朝經世文編初續』中に收めてある、闕名氏の「天主邪教入中國攷」にも、
且僞[#二]造大秦景教流行碑[#一]。……埋[#二]西安府城外[#一]、佯掘[#レ]之。以證[#二]其教由來之久[#一]。
と記してある。勿論此の如きは稀有の例外で、支那學者の多數は、この碑の當時の眞物たることを疑はぬ。ワイリ、レッグ二人の言ふ所も、先づ正當と認めてよい。
しかし今日では、景教碑の眞僞などは最早問題でない。この碑の眞物たることは、何等の疑惑を容れぬ。
(一)[#「(一)」は縦中横]この碑文の書體は、明かに唐時代のもので、明時代に僞作されたものでない。
(二)[#「(二)」は縦中横]この碑中に引用されてある、唐の太宗の貞觀十二年(西暦六三八)の阿羅本優遇の詔は、殆ど一字も違へずに、その儘『唐會要』卷四十九に載せられて居る。明末のキリスト教關係の人々が、『唐會要』の記事によつて、
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