ニあつて、實際この『唐景教碑頌正詮』――私の手許にあるのは、光緒四年の重鐫ではあるが――も、陽瑪諾の同會のフェルレーラ(Gaspar Ferreira 費奇規)、アレニ(Julius Aleni 艾儒略)、モンテーロ(Johannes Monteiro 孟儒望)の訂閲を經て出版したもので、容易に差誤あるべしとは思はれぬ。
 尚ほ又明の李之藻の「讀景教碑書後」といふ一篇がある。こは『唐景教碑頌正詮』の中にも、『方外焚書』などの中にも載せられて居る。この李之藻は、かの有名なる徐光啓と相並んで、當時の耶蘇信徒中の大立者であつた。彼の教名を Leon といひ、當時の洋人の記録には、Leon Li として知られて居る。上に紹介したセメドの記事に、杭州府在住の官吏で教名 Leo{n}とあるのは、即ちこの李之藻である。彼の讀景教碑書後に、
[#ここから2字下げ]
廬[#二]居靈竺間[#一](杭州府の靈隱寺と天竺寺をいふ)。岐陽同志張※[#「庚/貝」、第3水準1−92−25]虞惠[#二]寄唐碑一幅[#一]。曰|邇者《チカゴロ》長安中掘[#レ]地所[#レ]得。名曰[#二]景教流行中國碑頌[#一]。此教未
前へ 次へ
全45ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
桑原 隲蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング