底本では「塔乘」]した。同じ年に新羅船の方が能く風波に堪へるといふので、太宰府で新羅風の船を製造した。これらの事實は何れも當時日本に於ける造船の不完全なりし證據と認むべきである。そののち元・明時代に至つても、日本船は一體に支那船より製造法が劣つて居つたやうである。
上述の如き事情であるから、當時の航海の例として、出發の時にも歸朝の時にも、三四艘を一組となし、互に連絡をとつて航行するが、大抵中途で離散する。二三の著しい難船の實例を示すと、
(a)聖武天皇の御世に、遣唐大使多治比眞人廣成の一行は、天平六年(西暦七三四)十月に四艘の船に分乘して、蘇州(今の呉縣)から歸朝の途に就いたが、大使の搭乘した第一船が比較的無事なりしを除くの外、その他の三艘は皆難船した。中にも判官平群朝臣廣成の一行百十五人の搭乘した第三船は、南海の崑崙國(林邑國今の佛領安南の一部)に漂着し、或は殺害せられ、或は病死して、僅に四人だけ生存し、唐の保護を受けて、十年(西暦七三八)三月に、山東の登州(今の膠東道蓬莱縣)より渤海國に送られ、渤海國使の我が國に入貢するに同行して、龍原府(今の朝鮮の國境の圖們江口附近)より歸朝せんとしたが、又逆風の爲に、出羽國に漂着して、翌十一年(西暦七三九)の十一月に、六年目でやつと平城の京に到着した。
(b)その後約二十年にして孝謙天皇の天平勝寶五年(西暦七五三)の十一月に、遣唐大使藤原清河らの一行も亦四艘の船に分乘して、蘇州から解纜したが、間もなく離散し、中にも清河や阿倍仲麿の搭乘した第一船は、安南の驩州方面に漂着して、安南から更に長安に歸つた。清河も仲麿も之が爲に、遂に再び故國を見ることを得ずに唐で逝去した。十月や十一月に支那を發船すると、東北風を受けて、安南や林邑方面へ吹き附けらるるのが當然であらう。
(c)更にその後二十五年を經て、光仁天皇の寶龜九年(西暦七七八)に遣唐副使小野朝臣|石根《いはね》――この時大使佐伯宿禰|今毛人《イマエミシ》は病に罹つて、遂に入唐せなかつた故、石根は名は副使にして實は大使であつた――の一行は、例の如く四艘に分乘して、九月から十一月の間にかけて、揚子江口を發船したが、何れも難船した。中にも石根の搭乘した第一船が、一番の遭難で、石根以下約六十人が溺死した。生存した約百人の者も、やがて乘船が中斷した爲、心ならずも離れ離れになり、艫部に乘つた五十六人は薩摩國|甑《こしき》島郡に、舳部に乘つた四十一人は、肥後國天草郡に漂着して、不思議に生命を全くしたことがある。
此の如き状態であるから、當時支那へ渡航するのは、殆ど命掛けと申しても決して誇張でない。學問の爲とか信仰の爲とか、專心精進の人は格別、御役目で唐へ派遣される人々は、先づ難有迷惑の方であつた。遣唐使出發の際には、例として朝廷で送別の宴を御開きになるが、隨分濕りぽいものであつた。大師の同伴された、遣唐大使の藤原葛野麻呂の爲に開かれた、送別の宴の有樣も、葛野麻呂涕涙如[#レ]雨、侍[#レ]宴群臣無[#レ]不[#二]流涕[#一]と傳へられてゐる(『日本紀略』前篇十三)。遣唐大使の佐伯今毛人や、遣唐副使の小野篁などは、渡航を忌避したと推せらるる形迹がある。暦學や天文を研究すべく、唐に派遣された留學生の中にも、愈※[#二の字点、1−2−22]本國發船の際に亡命して身を隱した者がある(『續日本紀』卷八)。宇多天皇の寛平七年(西暦八九五)に遂に遣唐使を廢止したが、これには唐の衰亂といふ原因もあらうが、遣唐使廢止の發議者たる菅原道眞の主張に、
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臣等伏檢[#二]舊記[#一]、度度使等、或有[#二]渡海不[#レ]堪[#レ]命者[#一]。或有[#二]遭[#レ]賊遂亡[#レ]身者[#一]。唯未[#レ]見[#レ]至[#レ]唐、有[#二]難阻飢寒之悲[#一](『菅家文章』卷九)。
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とあるに據ると、渡海の危險といふことも、その一大原因と認めねばならぬ。要するに大師時代の入唐は非常に危險多く、今日の歐米留學などと同一視すべきものでない。
さて話が本題に立ち歸つて、わが大師の渡海の有樣を申述べよう。最初肥前の田浦出發の時は、當時の慣例として四艘一組となり、同時に帆を揚げたが、間もなく離散した。中にも大師の乘船は、最も困難なる航海を續けたことは、大師の作られた「爲[#二]大使[#一]與[#二]福州觀察使[#一]書」(『性靈集』卷五)に、
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忘[#レ]身衝[#レ]命、冒[#レ]死入[#レ]海。既辭[#二]本涯[#一]、比[#レ]及[#二]中途[#一]、暴風穿[#レ]帆、※[#「爿+戈」、第4水準2−12−83]風折[#レ]柁。高波沃[#レ]漢《ソラニ》、短舟裔々。※[#「豈+風」、352−14]風《ミナミカゼ》
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